二草庵摘録

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「世界共和国へ −−−−資本=ネーション=国家を超えて」柄谷行人(岩波新書)レビュー

2018年01月06日 | 哲学・思想・宗教
哲学書を読んでいるような難解さがある。世の中には、マルクスやカントをすらすら読める人がいるが、わたしの場合は、哲学・思想分野は、なかなか手ごわいと思えることが多い。
抽象度の高い語彙がページの上で乱舞しはじめると、しばしば“意味のつながり”がわからなくなり、本の中で迷子になってしまうのだ´Д`|┛
そのときは、迷子になった場所へ戻って読み直す。

だから、ドイツ観念論はもちろん、マルクスなども、遠くから仰ぎ見てはきたが、ヒマラヤ登山しますか・・・といわれているようで、怖気づく。そんなことをしているうちに、30年、40年がたってしまった。
しかし、光文社の古典新訳文庫がビギナーには頼りになる。「いま生きて呼吸していることば」で、近寄りがたい巨塔の奥の古典のハードルを下げてくれた(^-^*)/
「おれにも、カントが読めるかも知れない」
そう思ったので、昨日は「永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編」(中山元訳)を手に入れた。訳者の中山元さんが、専門用語をぐっと少なくし、難解度の高い原文を平易な表現に置き換え、しかも巻末に、親切丁寧な解説を、何とおよそ100ページにわたって書いてくださっている。

「おれにも、あたしにも、カントが読めるかも知れない」という状況を、出版界が率先して提供している。
岩波や角川でも、むずかしい古典の普及のため、いろいろと努力している。その恩恵をうけない手はないのだ。

さて、柄谷さんの「世界共和国へ」である。
新書のレベルとしては本格的な知の歯ごたえがあり、ある程度の予備知識、読解力、知力が必要。わたしが十分内容を理解できたかどうか、多少心もとない。
それは現代を代表する思想家の一人、柄谷行人の初読者だからでもある。
「柄谷用語」とでもいうべき語彙が頻出する。
いったいこの語で、何を表現しようとしているのか?
ある側面だけでいえば、観念論の世界。
眼で視たり、さわったり、味わったりすることのできない論攷が続いている。したがって、「柄谷用語」に慣れてくれば、もっと理解がすすむだろう。マルクスの「資本論」その他からの引用が多いのは、本書が国家論として書かれているからだ。
柄谷思想の核心は、ネーション、国家、資本、アソシエーションの4つに集約される。

《私が示したいのはあくまで、資本=ネーション=国家という環を出る方法です》(本書40ページ)

《国家は、そもそも他の国家(敵国)想定することなしに考えることはできません。国家の自立性、つまり、国家を共同体や社会に還元できない理由はそこにあります》(51ページ)
《貨幣は国家を超えて通用するような力をもつ》(72ページ)

《商品交換というとき、あるいは、市場というとき、ひとは市場における対等な取引を思い浮かべます。しかし、貨幣をもつ者と商品をもつ者は対等ではありません。商品は売れなければ、価値がない。しかるに、貨幣をもつことは、いつどこでもいかなるものとも直接的に交換しうるという「社会的質権(マルクス)をもつことなのです》(76ページ)

最初はいったいこの論攷はどこを目指しているのか五里霧中だった読者は、これらの考察を注意深く読んでいくうち、柄谷さんが、副題としている「資本=ネーション=国家を超えて」という方向へすすんでいることがわかってくる。
「世界共和国」は、ご存知の人が多いとは思うが、カントが「永遠平和のために/啓蒙とは何か」その他で展開した論である。
その対極には、このまま歴史が進行すれば、早晩人類は絶滅するほかない・・・という危機意識がある。それはそのまま、柄谷行人の世界認識に裏打ちされているのだ。

岩波現代文庫には「世界史の構造」がある。そこではもっと専門的に、こういった危機を克服すべき方法論が検討されているようである。日常生活にどっぷりと浸っていると、人類が危うい綱渡りをしていることを忘れてしまう。核の問題(核兵器と原発)、環境破壊、民族紛争、資源の枯渇・・・いたるところで注意信号が点滅している。
もっと具体的な国際政治の場で、日本がどの程度の貢献ができるか?
結局のところ、人類は21世紀をもって、絶滅するのでは?

読みやすい新書形式をとっているにもかかわらず、本書がもっている世界史の射程は極めて長い。
しかし、この十数年の動きを見ているかぎり、国家は共同体と個人の管理システムをますます強化している。
その一方では、EUをふたたび解体させかねない難民の流入、スコットランドやカタルーニャの独立紛争が、解決のむずかしいナショナリズムの根の深さを人間に突きつけている。
「世界共和国」とは、したがって理論上、あるいは机上の想定でしかなく、世界を覆うベクトルは逆方向を向いているというべきである。
それを十分承知でこういう論を唱えている柄谷行人のラディカリズム!



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