二草庵摘録

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中里恒子「時雨の記」をめぐって その2

2022年07月12日 | 小説(国内)
     (右は文春文庫現行版。文字の大きさは変わらない。)


しつこいようだが、中里恒子「時雨の記」について、もう少し書かせていただこう。
さきに述べたように、“視点の移動”には、結局最後まで違和感がぬぐえなかった。
しかし、本書は紛れもない秀作。
しかも、恋愛小説の秀作である(´ω`*)
これが中里さんご本人の体験をどこまで踏まえたものか、そのあたりがとても気になる。

おそらく体験記、私小説であったから、余計にストイックにならざるをえなかったのだ。平成になるころから大流行りとなった不倫もの、性描写を売りものにした小説とは、ずいぶん違った、いわば稀有な魂の物語。

《多江のそばで死にたい。それだけは・・・壬生は、多江にそこまで言うのは残酷に思えたが、あの女なら、その残酷に耐えてくれるかもしれない。そんなことは御免だ、と言われても、そこまで言える相手であることに、間違いはない。
多江は終わりの花なのだ。初花であって、終わりの花なのだ。》(壬生の視点 112ページ)

《宿へ帰る山道で、時折時雨(しぐれ)にあいました。時雨のように、壬生がさっと通りすぎていってしまっても、多江の肩に、濡れた露がしっとり残っていることは、疑いようもないことでした。
「じゃ、明日から、もう電話はかからないよ、夕方には発つからね、」
多江が長い髪を梳いているそばで、壬生は、うつろな表情で、庭を見ていました。それから多江の髪の毛を二本抜いて、絹糸のように結び、封筒に入れ、紙入れの中に納めました。
「これお守り、」》(作者による客観描写 127ページ)

中里さんは、センチメンタルになることを、あるいは演歌的な世界になることを警戒し、ストイックに、ストイックに・・・と筆を運んでいる。
だからこういう場面が活きてくる。
■書き下ろし長編「時雨の記」文藝春秋刊(1977 のち文庫)
と、さりげなく年譜にはしるされている。女性初の芥川賞作家、このとき68歳であった。
老年になってありありと見えてきたもの。それが“純愛”であったことに、わたしは衝撃をうけた。

個人的なことをいうようで恐縮ながら、本書を読み終えたあと、わたしはこの3日間まったく本が読めない症状にとりつかれている。「時雨の記」があとを曳いている。
初老になって、恋だの純愛だのチャンチャラおかしいわい(ノω・、)
シニカルにそうかんがえているわたしが、横にいるからだ。

《私にはこの「時雨の記」の全編が、中里さんのおのろけだと思われた。》と宇野千代は、本書の付録「或る高度の愉しさ」というエッセイの中で書いている。

■芥川賞受賞者一覧
https://www.bunshun.co.jp/shinkoukai/award/akutagawa/list.html
ここを眺めると、芥川賞の受賞作家とはいえ、その後、作家として活躍できた人はほんの一握り。中里恒子さんは、芝木好子さんとならび、その数少ないお一人♪
年譜を参照すればわかるが、ほんとうによく書いた女性作家であった。

しか~し、現在では文庫本で手に入るのはこの「時雨の記」(文春文庫)と、「歌枕」(講談社文芸文庫)の2作だけのようである。
「時雨の記」は映画化されていのち永らえたといえるかもしれない。
だけど、映画はあまりにメロドラマチック。
「ほんとうはね、こんなに美男美女の物語じゃないのよ」
「時雨の記」が映画化されたとき、中里さんはすでにこの世の人ではなかった。
映画をみたら、草葉の陰からそう密かにつぶやいたことだろう。

原作でも映画でも、多江と壬生のあいだに性的関係はなかったように描かれている。
それはもしかして、“ほんとうのこと”であったのではあるまいか?
・・・いかん、いかん、まだ余韻に浸っているぞ(^^;


■NHKアーカイブス
中里恒子
https://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/detail.cgi?das_id=D0009250327_00000


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