二草庵摘録

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近松秋江の名作「黒髪」を読む ~愚劣さの輝き

2024年07月28日 | 小説(国内)
■「私小説名作選 上」中村光夫選
近松秋江「黒髪」


《近代日本文学において独特の位置を占める「私小説」は、現代に至るまで、脈々と息づいている。文芸評論家・中村光夫により精選された、文学史を飾る作家十五人の珠玉の「私小説」の競演。》三省堂書店BOOKデータベースより

中村光夫といえば、私小説を排撃した批評家として名高いが、その中村光夫に、私小説のアンソロジーを編集させたところがミソ(*^。^*) はじめは集英社から出たらしいが、仕掛け人はだれだろう!?

・少女病     田山花袋
・風呂桶     徳田秋声
・黒髪      近松秋江
・戦災者の悲しみ 正宗白鳥
・城崎にて    志賀直哉
・崖の下     嘉村礒多
・檸檬      梶井基次郎
・富嶽百景    太宰治
・突堤にて    梅崎春生
・鯉       井伏鱒二
・虫のいろいろ  尾崎一雄
・ブロンズの首  上林暁
・耳学問     木山捷平
・接ぎ木の台   和田芳恵
・セキセイインコ 井上靖


これが収録作の一覧である。名作と称せれる有名な短篇が多くおさめられている。このあいだは太宰の「富嶽百景」を読んで、う~むと納得。
つづいていくつか読んだ中で、近松秋江の「黒髪」に魅せられた。これは「富嶽百景」に勝るとも劣らない名作である(*´ω`)

若かったとき「別れたる妻に送る手紙」と「疑惑」を読んで、一驚したのを、ぼんやり憶えている。「黒髪」は近松秋江の最高傑作と推す読者が多いが、この機会にはじめて読んだ。すばらしい逸品というべきだろう。

《 ……その女は、私の、これまでに数知れぬほど見た女の中で一番気に入った女であった。どういうところが、そんなら、気に入ったかと訊(たず)ねられても一々口に出して説明することは、むずかしい。が、何よりも私の気に入ったのは、口のききよう、起居振舞(たちいふるまい)などの、わざとらしくなく物静かなことであった。そして、生まれながら、どこから見ても京の女であった。》本編冒頭 青空文庫より

《 そこへ女中が膳(ぜん)を運んできた。
「おおきにお待ちどおさん」と、いいつつ餉台(ちゃぶだい)のうえに取って並べられる料理の数々。それは今の季節の京都に必ずなくてはならぬ鰉(ひがい)の焼いたの、鮒(ふな)の子膾(なます)、明石鯛(あかしだい)のう塩、それから高野(こうや)豆腐の白醤油煮(しろしょうゆに)に、柔かい卵色湯葉と真青な莢豌豆(さやえんどう)の煮しめというような物であった。
 私は、口に合ったそれらの料理を、むらむらと咽(のど)へこみ上げてくる涙と一緒に呑み込むようにして食べていた。そうしてもう済みかけているところへ廊下にほかの女中とはちがうらしい足音がして、襖の蔭から女がぬっと立ち顕(あら)われた。彼女はさっきとちがい、よそゆきらしい薄い金茶色の絽(ろ)お召めしの羽織を着て、いつものとおり薄く化粧をしているのが相変らず美しい。》青空文庫より

こんなふうに引用していくと、きりがない。
祇園あたりの芸妓との愛欲が、ことこまかに生々しく描かれてある。金銭のやりとりはまったく書かれてないが、深読みすれば、見当はつく。
集英社版日本文学全集第14巻「近松秋江」の解説で平野謙さんは、おそらく1000円あまりの金銭のやりとりがあったろうと、推測している。これは現代の価値に換算すると、たぶん1000万円にもなろう。要するに金で買うことのできる女なのである。

《秋江は金太夫とよばれる祇園の遊女を想いそめてから、四・五年のあいだに、合計千円ほどのカネを貢いでやったにもかかわらず、いっこうに借金が減ったという様子もないのに業をにやし、それが彼らの破局をもたらすことになったのだが、たとえまとまったカネではないにしても、大正初年代に合計千円という血のでるようなカネをセッセと貢いだというようなことは、誰にでもできる真似ではない。これを当時秋江の身近にいた長田幹彦をして語らせると、およそつぎのようなことになる。》(集英社日本文学全集第14巻「近松秋江」解説)といいながら、平野さんは長田幹彦の証言を引用している。

各社から数多く出版された“日本文学全集”で、ほぼ完全に近松秋江は、岩野泡鳴と、抱き合わせの1巻とされていたが、この集英社の日本文学全集で、編集委員の一人だった平野謙によって、ようやく一人=一巻という扱いをうけた( ゚д゚)


   (集英社版日本文学全集第14巻 平野謙編集による11篇を収録)

■別れた妻もの
■京都または大阪の遊女もの
■年老いてから生まれた子どももの

近松にはこういう作品の区別がある。
だから過去に「別れたる妻に送る手紙」「疑惑」等を読んだのは、この集英社版だったかも知れない。

いかにしても遅きに失した感は否めないけど、まあ、この講談社文芸文庫であと何篇かほかの作家を読んだら、「黒髪」の連作「狂乱」「霜凍る夜」などをぜひ訪れてみたいと念願している。
愚かさの輝き♬ 
そこから容易に目を離すことができない。
日本近代の私小説の発見者の一人、近松秋江は自分の愚劣さを生き、そして作品として磨きあげたのだ。

わたしは京都のことは旅行を数回したくらいでほとんど知らないのだが、近松秋江の喚起力は正確でしかも柔軟、主人公と芸妓の場面ばかりでなく、端役のような登場人物やそのへんの路地まで手に取るようにまぶたに蘇る。
これは小説家として大変な実力者だし、平野謙が夢中になるのもわかる。正宗白鳥と同郷で大学もいっしょ、というところもおもしろい。

新潮社の文学全集で平野さんの解説を読み、この集英社の文学全集で、重ねて読むことになった。
うん、平野謙にひきつづき感謝だな。当然ながら解説もまた“芸”のうちである。


   (筑摩書房版は3人抱き合わせのため「別れた妻に送る手紙」「伊年の屏風」のみ収録。ただし注釈は図版が入り、同時代人の回想も収録)

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