二草庵摘録

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「見切る」ということ  ~私小説家・川崎長太郎の神髄

2024年12月19日 | 小説(国内)
    (なぜか2冊ある講談社学芸文庫の「抹香町・路傍」)



■「抹香町・路傍」川崎長太郎(講談社文芸文庫 1997年刊)


川崎長太郎はとても地味な存在だと思われる。
私小説家のうちにあって、太宰治のような破滅型とも、尾崎一雄のような調和型ともことなっている。消えそうで消えない熾火でもあるかのように、しんしんと燃えつづける作家魂は、
正宗白鳥、徳田秋声、宇野浩二につらなる小説家と一般的には思われている。

今回は「忍び草」に収録されていた「路傍」を、講談社文芸文庫で読み返した。膠のような、ただならぬ粘着物質があるのを感じた。かんがえてみると、この粘着物質は、川崎さんにかぎらず正宗白鳥や徳田秋声にも通じる作家魂といえそうである(゚ω、゚)


    (こちらの本も、そのとき・・・読むとき・・・に浸れる日を愉しみにしている)

秋山駿さんの解説を引用すれば、小説家としてのいわば“何か”を、見切ってしまったというタイプに属している小説家である。そういう意味では、正宗白鳥とも、徳田秋声とも、微妙に違う。自分自身と自分の身辺に対する誇張した思い込みはないし、女性の夢に酔わされることもない。
つまり川崎長太郎は川﨑長太郎らしく徹底しているのである。彼特有の粘着物質がないと、こんなにしっかり短篇として凝縮するはずはない。

《文学に憧れて家業の魚屋を放り出して上京するが、生活できずに故郷の小田原へと逃げ帰る。生家の海岸に近い物置小屋に住みこんで私娼窟へと通う、気ままながらの男女のしがらみを一種の哀感をもって描写、徳田秋声、宇野浩二に近づきを得、日本文学の一系譜を継承する。老年になって若い女と結婚した「ふっつ・とみうら」、「徳田秋声の周囲」なども収録。》BOOKデータベースより

収録されているのは、以下9編247ページ。
巻末に解説、年譜、著書目録、参考文献が付いている。

父の死
無題
軍用人足
抹香町
ふっつ・とみうら
路傍
日没前
墓まいり
徳田秋声の周囲

秋山駿さんの解説はもちろん、「父の死」「軍用人足」「抹香町」「ふっつ・とみうら」「徳田秋声の周囲」は、あやふやながら過去に読んだという記憶がある。
彼にはいわゆる“代表作”はないと思えるが、もしかしたら「抹香町・路傍」がそれに当たるのかもしれない。

“老残の身の上”と、盛んにいっている。淡々たるというか、あっけらかんとした身の処し方が、川崎長太郎の身上であろう。自分のことなのに、他人を眺めるように素っ気なく見ている。感動はしないが、切々たる歯ぎしりが聞こえてくるよ、わたしが歳を取ったせいで、余計に耳の奥底にジーン、ジーンと響いてくる。
これが味といえばいえるだろう。それが好きな人もいるし、当然嫌いだという人もいる。

《大陸の戦火が拡大する、昭和十三年の七月、小川は東京本郷菊坂の下宿を引き揚げ、いわゆる都落ちして、小田原の海岸へ帰ってきた。父親が胃癌で歿後、長男の身替り同様、家督を相続した彼の弟は、中気の母親や妻子共々、魚市場に近い通りの二階家へ移転していた。ふた間しかない実家の建物は、弟の名義となっており、カマボコ職人一家に貸してあった。
その家の地続きに、小さな庭を距てて、屋根も外側も黒ペンキで塗った、トタン板ばりの物置小屋がある。中には、宙吊りの棚みたいな仕掛けも出来ていて、そこにも下にも、魚屋の商売道具や、近所の漁師から預かった網や綱が、一杯詰め込まれていた。
夏場は避暑気取り、また東京を喰い詰まると再三舞い戻って、実家のただめし喰った覚えのある小川には、かねて馴染の物置小屋であった。宙吊りの棚の一部分には、古畳が二枚敷いてあり、雨戸をはめた押入れもしつらえてある。トタン板の観音びらきをあければ、防波堤の向うに海面も一望された。》本書 109ページ

「実家のただめし喰った覚えのある小川には」と書いているが、ただめしのあとふつう、をつけるがそこが川崎さんの書きグセ。“小川”は、ほぼ99%(あるいは95%)川崎長太郎である。
ここがのちに「川崎長太郎の二畳の物置」として、文壇で知られるようになる。宇野浩二がそのことを書いているのを、おもしろく読んだ憶えがある。

あの秋山駿さんは、解説でつぎのように最大級の賛辞を捧げている。
《「路傍」と「日没前」は一篇ずつ採っても間然するところの見事な作品であるが、二篇を合すると、これはなんとも言いようのない傑作であるという感嘆が生ずる。
これは作家が行った人生との勝負の総決算であり、その決算報告書のごときものだ。》258ページ

「路傍」は以前に読んでしまったが、「日没前」はまだとってある。
エアコンやストーブは使用していないため、この時期となると寒さが手や指を凍らせる。
ゆっくり、ゆっくりとかんがえているうち、時間がたってゆく。はやくよまなくちゃね「日没前」。
川崎長太郎は「もぐら随筆」その他、5~6冊ストックがあるしなあ(^ε^)
私小説、または私小説ふうの書き味をしめす作家が、この6~7年たまってきた。
葛西善蔵、正宗白鳥、尾崎一雄、阿部昭、車谷長吉、西村賢太等々。
読み方、読みようが少し違うが、ミステリとはまるで違うジャンルとは、どうも思えないふしがある。


    (小学館P&D叢書の全3冊のうち2冊)

日本文学では私小説の比重が、わたしの場合では徐々に大きくなっている。そのことを納得しないわけにはいかないだろう。
 秋山さんがいうごとく、川崎長太郎は「見切る」ということを若いうちにやったのだ。生意気盛りにね。一般的にはなれるはずがないのに、危うく日本的私小説の作家として後世に名をとどめることになったのである。そこに川﨑長太郎の神髄があったことを、秋山駿はどんぴしゃりと見抜いた。
いやはや。

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