二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

破滅型私小説の極北 その2

2024年05月28日 | 小説(国内)
   (「宇野浩二・葛西善蔵・嘉村礒多」日本の文学 33 昭和45年刊)


   (「哀しき父・椎の若葉」講談社文芸文庫 水上勉解説 1994年刊)
   (「贋物・父の葬式」講談社文芸文庫 鎌田慧解説 2012年刊)

本編「血を吐く」は、「日本の文学」(中央公論社の文学全集)にも、講談社文芸文庫の2冊にも収録されていない。
岩波文庫の旧版を探すか、Kindle版 (電子書籍)を探すしかないかとかんがえていたら、「青空文庫」に収められてあったのはうれしかった(*^。^*)
この機会に「湖畔手記」も読み返した。だけど、これが最高傑作とは、どうも思えなかった。代表作の「子をつれて」は出だしが苦み走っていていいし、「椎の若葉」は、ラストがすばらしい(^ε^)

葛西善蔵1887年(明治20)~1928年(昭和3)とは、何者であったのだろう(´?ω?) 
ちなみに青森県弘前市生まれである。
自虐的ともいえるが、そのレベルを超えてしばしば“激情”が迸る。自己処罰ということばをわたしは思い浮かべた。
文士といわれる特異な人種が、大正期から昭和期にかけて生存していたが、その代表的な一人。
調和型の心境小説ではなく、“破滅型私小説”である。新しいところでは、西村賢太が、よくそういわれた。
恋びとやら、友人やら、親戚やら、周囲の人間に迷惑を及ぼし、責任をとろうとしない。
伊藤整さんいうところの“逃亡奴隷”。文学に殉じたわけだが、また一方、そういう時代であったのだ。
ドストエフスキーに「地下室の手記」があるが、日本の私小説はあれとは似て非なるものである。

谷崎精二さんは「葛西は本当にあの時、あのまま死んでもよいと思ったのであらう」とお書きになっているが、わたしもそうかんがえる。陋巷に窮死するのは本望であったろう。不幸を売りものにしているのだから、幸福になったら、商売にならない。
葛西が亡くなったのは昭和3年。「血を吐く」は大正14年に発表された。

岩波文庫から葛西善蔵の後継者と見なされる嘉村礒多集が刊行されたので、葛西の新しい短篇集もぜひ、“紙の本”(文庫本)で出してほしいものである。


   (「嘉村礒多集」岩波文庫 岩田文昭篇・解説 2024年刊)



※青空文庫 葛西善蔵
https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person984.html
(青空文庫がなかったらこんなに長々引用しなかったろう。ありがとうございました♪)

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