二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

何者かそこにいる(ポエムNO.3-7)

2019年04月10日 | 俳句・短歌・詩集
あるときはカメラをぶら下げて歩きまわる。
またあるときは酒を飲んで酔っぱらい
さっさと寝て夢に身を浸す。
ときおりやけっぱちな詩を書いたりもする。
浴びるように本を読んでいることがあったかと思うと
草刈り機をもって 田畑をはいずりまわっている。

きみは何者なのか?
何者?
フォトグラファーではなく
酔っぱらいでもなく 詩人でもない。
物書き・・・であったことはないし
貧農ですらなかった。

何者かそこにいる。
銀座のど真ん中に 石のようにころがっていたら
人は驚くかもしれない。
「結局のところきみは詩人なんだよ」
とあるとき人はいう。
「結局のところきみは単なる酔いどれなのさ」

人は人を決めつけて安心する。
片づけておかなければ 邪魔で仕方ない。
つまずいて怪我をしたり ひっくり返ったりするから。
今日は晴れていて 雲がいくつかぷかり ぷかり。
しばらく見ていると
どんどん形が変わっていく。

雲に形なんてあったのか そもそも?
高層雲もあるし 浮き雲もあるし 鰯雲もある。
・・・だけどそれらすべてが“雲”だとしたら
雲に形なんてないのさ
「結局のところ」ね。
そういう現象がある それだけ。

きみが存在しなくなったら
別な何者かがやってきて その場所をふさぐだろう。
黒ネコがいなくなったら 三毛ネコがきて寝そべっているように。
三毛ネコがいなくなったら 何ネコがやってくるのだろう
そりゃ そうなってみなければわからない。
わからない。

わからないからおもしろいし
わからないからつまらない。
ほら 椿が咲いている。
赤い椿 白い椿 斑入りの椿が・・・。
どれがきみなんだろう。
さっきまでそこにいたのに

きみはもういない いなくなったので
きみがいたことに気が付く。
「ああ そこにいたのがきみだったのか」とね。
うめいたり 笑ったり ぺらぺらしゃべったり。
にぎやかだったこともあるし
静かだったこともある。

何者かが そこにいたのだ。

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