二草庵摘録

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司馬遼太郎対話選集3「歴史を動かす力」(文春文庫)レビュー

2017年01月22日 | 座談会・対談集・マンガその他
子規と漱石、漢詩の世界などをいっとき棚に上げて、この数週間、司馬遼太郎の対話選集と向き合ってきた。文春文庫から10冊に分かれて刊行されている。
1.「この国のはじまりについて」
2.「日本語の本質」
3.「歴史を動かす力」
4.「近代化の相克」
5.「日本文明のかたち」
6.「戦争と国土」
7.「人間について」
8.「宗教と日本人」
9.「アジアの中の日本」
10.「民族と歴史を超えるもの」

第1巻第2巻と読んで、現在第3巻「歴史を動かす力」を、2/3あまり読んだところで、感想をしるしておく気になった。
この巻は、海音寺潮五郎さんと対話「日本歴史を点検する」と、江藤淳さんとの対話「織田信長・勝海舟・田中角栄」の二つが、大きなウエイトをしめている。
個人の対話集が、全10巻という規模で・・・しかも文庫で、現在でも手に入るのは、大したものである。対話集というのは、かりに文庫となって上梓される場合があっても、ほとんど短命に終わり、版を重ねることはまずない。

作品は読み継がれることがあるだろう。しかし、対話集というのは、いわばその余沢だからである。ごく一部の“熱烈ファン”が手に取るだけ。
司馬さんのこの対話集も、出来不出来、おもしろい、つまらないというバラツキが多い。
つまらない場合は、その場かぎりの“放談”、“歓談”となってしまう。
発表されるのは、主として雑誌。この雑誌という媒体には、対談、あるいは座談会というラフな形式が似合うようである。

いまここで書いておきたいのは、司馬・江藤両氏の勝海舟論をめぐる感想である。
勝海舟とは何者であったのか?
この人物をめぐっては、評価する側、しない側で、かなり極端な落差がある。とくに左よりの歴史家は、勝を国賊よばわりしている人がある。そういう歴史家が50年代、60年代は影響力を行使しえた・・・ということが、わたしにも最近見えてきている。

海舟は幕府の裏切り者であり、保守反動の極悪人であり、世渡りの名人であったのか?
歴史的な評価というのは、評価する側の価値観を照射する。
この対談において、江藤さんは勝を「政治的人間」の典型であるととらえている。江藤さんご自身は慶応大学出身であるのもかかわらず、福沢諭吉に対するより、はるかに高い評価を、はっきり打ち出しているのは、瞠目すべきだろう。

乱世において、天才的な能力を発揮する人物が、歴史上に登場する。近世日本でいえば、たとえば織田信長であり、ヨーロッパでいえば、マキュアベリである。
勝海舟は、彼らと肩をならべられるような、すぐれた「政治的人間」なのである。そういう評価で、司馬・江藤の意見はほぼ一致をみている。

宗教的人間、思想的人間、文学的人間、科学的人間、音楽的人間、性的人間、視覚的人間etc.・・・そういったカテゴリーに分けた場合、だれもが、一つ二つ、あるいは三つのカテゴリーにまたがって存在している。わたしでいえば、さしずめ、文学的人間&視覚的人間ということになるだろう。

そのわたしが歴史を見渡そうとした場合、一番わからないのは、政治的人間なのである。幕末~明治にかけて、傑出した政治的人間を探すとすれば、それは大久保利通、勝海舟、伊藤博文あたりが“大物”ということになるだろう。その中で、この対話においては、勝海舟という人物とその歴史的役割について検証している。
政治的人間とはなにか?
これはわたしにとっては、たいへん難問であるようにおもわれる。

塩野七生さんの歴史ものに夢中になって、つぎからつぎと読み漁っていたころ、わたしを最も興奮させたのは、すぐれた政治的人間が、どの国の場合にあっても、大きな曲がり角では必ず登場することであった。
勝は幕府側にとっては“悪党”ともいえる存在であったが、おそらく彼の存在なしに、15代将軍慶喜のいのちはなかったろうし、徳川家が、明治に存続をゆるされることもなかったろう。それを舞台裏で演出した中心人物が勝海舟なのである。
彼に較べたら、福沢諭吉など、一介の秀才・教養人、口舌の徒に過ぎない・・・とまでいいきるとき、司馬さんも江藤さんも、政治とはなにかを、じつに的確に見抜いているというべきである。
権力闘争をその本質とする政治にあっては、まかり間違えば血が流れ、首が飛ぶ。戦争はその延長に過ぎない。

「日本は日露戦争の勝利で頭に血が上ってしまった」と司馬さんはいう。
日本は日本海海戦では勝利を収めたが、陸戦では、ロシアと互角であったという。うまい具合にイギリスが仲裁に入り、敵国ロシアの国内問題が火を噴いたため、“勝利”を拾ったにすぎない。
長期戦となったら、ろくな資源もない極東の小国が、大国ロシアに勝てるはずはないのである。
しかし、陸軍は歴史を塗り替え、大勝利のウソをでっちあげて、国民の判断を誤らせた。勝海舟や伊藤博文が去ったあと、わが国の歴史は、彼らに匹敵するような政治的人間を、ついに生まなかったのである。

対話のタイトルになぜ田中角栄の名があるかというと、田中内閣が誕生したころに、この両者の対話(1972年雑誌「現代」に掲載)がおこなわれたからである。
そういう時局問題は、やや古びてしまって、あまり参考にはならない。しかし、70年代初頭のこのころ、江藤さんは保守の論客として、各方面でめざましい活動をし、歴史の読み直しを迫っていた。
「おやおや、文芸評論家が草鞋をはきかえたのかな、やめておけばいいのに」と、そのころのわたしは思っていた。生意気のようだが、いまから振り返ると、左によりすぎたジャーナリズムの論調を、中道路線に引き戻すための捨て石くらいにはなっただろう。
江藤さんのそういった論調や情念を正確に、正面から受け止めうる人物は、当時司馬遼太郎が一番ふさわしかったのである。

乱世といってもいいし、変革期といってもいい。そういう時代の真っ只中で生き、死んでいった男たちを語らせたら、司馬遼太郎の右に出るひとはいなかった。
対話の相手は、それぞれの分野で一流と見なされたり、活躍したりした有能な学者・研究者、評論家、作家である。
そういう人物を得て、ダイアローグの達人でもあった司馬さんは、堂々と自説を展開している。逝去したのは1996(平成8)年、21世紀を見ずに亡くなった。
しかし、この人から学ぶべきことは、いまなお非常に大きいものがあるのは疑いない。
多少飛躍した推定かも知れないが、司馬さんの仕事がなければ、塩野七生さんの著作は誕生しなかったのではないか?

対話集を読み継ぎながら、ふとそんなことを考えた。


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