
ある程度の年になると、人は人生論を語りたくなるものらしい。
五木寛之さんなど、お若いころは、かなりいま風(といっても70~80年代風)のとんがった小説を書いていたのに、老年になって、仏教と人生論が得意分野となった(笑)。
本書は編集者が「三木清の『人生論ノート』のようなものを」と、木田先生に注文をつけ、集英社の広報誌「青春と読書」に連載したものだそうである。
木田先生といえば、西洋哲学の専門家。なかでもハデガーやメルロ・ポンティの翻訳者、紹介者、権威として知られている。
とはいえ、BOOK OFFの税別100円コーナーにならんでいたので、手を出したようなもの、新刊だったら、買わなかったろう。
本書はひとことでいえば、哲学者による、着流しスタイルの随想録。
話ことばに近い感覚で書かれているため、短時間ですらすら読める。
哲学者なので、哲学に関する話題が当然多いが、肩肘張っているようなところは微塵もない。
「日本人の先輩哲学者は、アリストテレスやカントやヘーゲルの著作が本当にわかって書いていたんだろうか?」な~んて、木田さんは、しばしばあっけらかんとした疑問を呈している。
とくに「理性」ということばをめぐる自問自答は笑わせてくれる(^^)/
「えらい先生なのだから、あちらの哲学者がいう理性って、じつはよくわからないんだよね、とは学生を前にしてはいえない。」
うんうん・・・アハハ、そうだったのか、やっぱり。
木田元さんは、英語はもちろん、ラテン語やフランス語、ドイツ語などにご堪能なので、これまでの訳語の誤りや、内容の間違いを正して、むずかしい哲学書を「わかりやすい」日本語で解釈しなおしてこられた。
序章「三木清と『人生論ノート』」、第二章「記憶について」、第四章「笑いについて」、第九章「読書について」、第十章「自然について」あたりは、たいへんおもしろくツッコミも鋭い。
いわゆる蘊蓄話をしているわけではない。
むしろ、経験談がいっぱい出てくる。まあ、そのあたりが、この本のおもしろさだろう。
終章となる「それぞれの秋」は、思い出話となっている。読んでいると、身につまされ、しんみりしてくる。
かつての教え子たちと酒を酌み交わしたり、カラオケしたりしながら、長いながい交流をもってきたのだ。思い出話が、人生論へとつながっていく(^^♪
木田さんがこれほどの「遊び人」だとは知らなかった。麻雀や囲碁に熱中し、モーツァルトを聴き、ドストエフスキーを読み、哲学書を翻訳し、大学で講義する。
それらが皆ほどほど、同じ比重をもってふり帰られている。凝り性で、夢中になると、自分なりにとことん深入りする。そういう性格であることを自認しておられる。
その奥に、小林秀雄の影響なども透かし見える。
ところで、木田元さんの主著って何だろう?
ハイデガーやメルロ・ポンティの訳書や研究かなあ・・・。
お年を召してから、味の出てくる人がよくいる、若いころはとんがっていたとしても。
本書がありふれた老人のつぶやき、あるいは長年哲学に携わってきた横町のご隠居の回想録だといえば、あまりにシニカルな批評となってしまう。しかしそのあたりが、本書の読みどころでもある。
評価:☆☆☆☆
五木寛之さんなど、お若いころは、かなりいま風(といっても70~80年代風)のとんがった小説を書いていたのに、老年になって、仏教と人生論が得意分野となった(笑)。
本書は編集者が「三木清の『人生論ノート』のようなものを」と、木田先生に注文をつけ、集英社の広報誌「青春と読書」に連載したものだそうである。
木田先生といえば、西洋哲学の専門家。なかでもハデガーやメルロ・ポンティの翻訳者、紹介者、権威として知られている。
とはいえ、BOOK OFFの税別100円コーナーにならんでいたので、手を出したようなもの、新刊だったら、買わなかったろう。
本書はひとことでいえば、哲学者による、着流しスタイルの随想録。
話ことばに近い感覚で書かれているため、短時間ですらすら読める。
哲学者なので、哲学に関する話題が当然多いが、肩肘張っているようなところは微塵もない。
「日本人の先輩哲学者は、アリストテレスやカントやヘーゲルの著作が本当にわかって書いていたんだろうか?」な~んて、木田さんは、しばしばあっけらかんとした疑問を呈している。
とくに「理性」ということばをめぐる自問自答は笑わせてくれる(^^)/
「えらい先生なのだから、あちらの哲学者がいう理性って、じつはよくわからないんだよね、とは学生を前にしてはいえない。」
うんうん・・・アハハ、そうだったのか、やっぱり。
木田元さんは、英語はもちろん、ラテン語やフランス語、ドイツ語などにご堪能なので、これまでの訳語の誤りや、内容の間違いを正して、むずかしい哲学書を「わかりやすい」日本語で解釈しなおしてこられた。
序章「三木清と『人生論ノート』」、第二章「記憶について」、第四章「笑いについて」、第九章「読書について」、第十章「自然について」あたりは、たいへんおもしろくツッコミも鋭い。
いわゆる蘊蓄話をしているわけではない。
むしろ、経験談がいっぱい出てくる。まあ、そのあたりが、この本のおもしろさだろう。
終章となる「それぞれの秋」は、思い出話となっている。読んでいると、身につまされ、しんみりしてくる。
かつての教え子たちと酒を酌み交わしたり、カラオケしたりしながら、長いながい交流をもってきたのだ。思い出話が、人生論へとつながっていく(^^♪
木田さんがこれほどの「遊び人」だとは知らなかった。麻雀や囲碁に熱中し、モーツァルトを聴き、ドストエフスキーを読み、哲学書を翻訳し、大学で講義する。
それらが皆ほどほど、同じ比重をもってふり帰られている。凝り性で、夢中になると、自分なりにとことん深入りする。そういう性格であることを自認しておられる。
その奥に、小林秀雄の影響なども透かし見える。
ところで、木田元さんの主著って何だろう?
ハイデガーやメルロ・ポンティの訳書や研究かなあ・・・。
お年を召してから、味の出てくる人がよくいる、若いころはとんがっていたとしても。
本書がありふれた老人のつぶやき、あるいは長年哲学に携わってきた横町のご隠居の回想録だといえば、あまりにシニカルな批評となってしまう。しかしそのあたりが、本書の読みどころでもある。
評価:☆☆☆☆