(本屋の散歩で、39冊の中の一冊として、この詩集と巡りあった)
きっとだれかが亡くなって、遺族が遺品を始末したのだろう。
今日近所のBOOK OFFへいったら、わたしが欲しくなるような本たちが、大量に売られていた。
そうか、そうか・・・そうか。
いろいろと買った中に、中桐雅夫(1919~1983年)さんの「会社の人事」という、いささか風変わりなタイトルの詩集(晶文社 1979年刊)があった。ネットで検索してみると、ちょっと古いが、いまだ絶版にはなっていないようである。
座り込んで、人さまの邪魔にならぬよう素早くその場で中身をチェック(^^)/
一編をのぞき、すべてソネット形式で書かれた詩が、62編収めてある。
うん、いいぞ、なかなかいいじゃないか(^^♪
中桐雅夫さんなんて、お名前だけは「荒地」の詩人として存じあげてはいたが、ほとんどはじめて読むに等しい。
「おれの冬」
夏がきたのでおれは海へいった、
隠していた過去を砂浜で焼きすててきた、
のこぎりの歯のような漣が、
おれの心をきいきい鳴らしてくれた。
冬がきたら、おれはこの世から出てゆこう、
気にいらぬ喫茶店から出てゆくように、
静かに勘定を払ってゆっくりドアをあけ、
はらわたをうじ虫にくわせにゆこう。
ことばが意味を失うと地獄の霧が湧いてくる、
埋めるひまもないほどの殺戮が始まる、
ひとつの惑星、このひとつの惑星が死ぬ。
途中で編み間違えたセーターは、
ほどくとまた新しく編めるけれど、
もう一度くる当てもないおれの冬だ。
(「おれの冬」全編)
「おなじ未年(ひつじどし)の友に」
きみは日記を焼いたりしたことがあるかい
おれはあるんだよ、五十になった頃の秋だ
天城の尾根で三冊のノートを捨てた
生きたくもない死にたくもない変な気持だった
過去との断絶、そんなことは不可能だ
紙切れはなくなっても記憶は残るからね
それでもノートはできるだけ遠くへ投げたよ
センチメンタルだと笑われるかねえ
「風立ちぬ、いざ生きめやも」
戦争前に覚えたこの言葉を戦争が叩き潰した
おない年に生まれて先に死んだやつの顔
悪を知らなかったあの顔が忘れられるものか
生きてゆくとはそういうことだろうかねえ
おれがおりてきた薄(すすき)の尾根道も長かったよ
(「おなじ未年(ひつじどし)の友に」全編)
中桐さん、60歳の年に刊行されたようだ。
《「風立ちぬ、いざ生きめやも」
戦争前に覚えたこの言葉を戦争が叩き潰した
おない年に生まれて先に死んだやつの顔
悪を知らなかったあの顔が忘れられるものか
生きてゆくとはそういうことだろうかねえ
おれがおりてきた薄(すすき)の尾根道も長かったよ》
こういう数行が胸の奥に沁み込んでくる。テクニックではなく、本音を吐いているからだろう。
編集にはご本人はタッチせず、長田弘さんが携わった。
ソネットなので、14行詩の“しばり”がある。それで、かえって書きやすかった・・・と、中桐さんはあとがきに書いておられる。
朝日新聞「天声人語」に引用された作品があるため、かなり版を重ね、広く出回ったようだ。
《中桐雅夫の詩は、不退転の覚悟と深いいたわりにみちた憤りの詩である。
戦いと飢えで死ぬ人間がいる間は
おれは絶対風雅の道をゆかぬ
家庭で、街で、電車で、会社で、日常茶飯の出来事の裏側にひそむ暴虐さを、苦く呑みこみ、簡潔な言葉とともに吐き出す、市井に生きる人びとのための詩集。》(表紙裏の紹介文より)
「よせやい、そんなカッコいいもんじゃねえよ」
ご本人がそういっててれてしまいそうなコピーであるが、まあ、見当はずの評言でもあるまい。
エンディングの数行が決まると、ことばは行のはじめに返って鮮やかに立ち上がり、読者の心をつかむ。それがテクニックといえば、テクニック!
ソネットという形式が、かえって詩人をラクにしたのだろう。力みかえって書こうとする必要なんてないぞ、と。
中桐さんは長いあいだ読売新聞の政治部記者として会社づとめをした。「荒地」のあと「歴程」にも参加したようである。
詩人というのはことばの世界に生き、そこにある意味、全人生を賭けた人のことなので、エンターテインメントを読むときのように、ササッと読み飛ばすことはできない。
そのつもりで、時間をかけてじっくりと読んでゆく必要がある・・・のだ、一語、一行を吟味しながら。
特急列車や新幹線、飛行機で、目的地まで一直線。
ああ、忙しい、忙しい、忙しい。
あれをして、これをして、さてつぎは、と。
やたらと忙しがってばかりいる人種には、こういう詩集は向かない。ご縁がないのだ。
現代人は、大した用事もないのに「忙しがって」いる人の何と多いことだろう。
たまには立ち止まって、耳をすましてみよう。一冊の本、一冊の詩集のほとりでね。
きっとだれかが亡くなって、遺族が遺品を始末したのだろう。
今日近所のBOOK OFFへいったら、わたしが欲しくなるような本たちが、大量に売られていた。
そうか、そうか・・・そうか。
いろいろと買った中に、中桐雅夫(1919~1983年)さんの「会社の人事」という、いささか風変わりなタイトルの詩集(晶文社 1979年刊)があった。ネットで検索してみると、ちょっと古いが、いまだ絶版にはなっていないようである。
座り込んで、人さまの邪魔にならぬよう素早くその場で中身をチェック(^^)/
一編をのぞき、すべてソネット形式で書かれた詩が、62編収めてある。
うん、いいぞ、なかなかいいじゃないか(^^♪
中桐雅夫さんなんて、お名前だけは「荒地」の詩人として存じあげてはいたが、ほとんどはじめて読むに等しい。
「おれの冬」
夏がきたのでおれは海へいった、
隠していた過去を砂浜で焼きすててきた、
のこぎりの歯のような漣が、
おれの心をきいきい鳴らしてくれた。
冬がきたら、おれはこの世から出てゆこう、
気にいらぬ喫茶店から出てゆくように、
静かに勘定を払ってゆっくりドアをあけ、
はらわたをうじ虫にくわせにゆこう。
ことばが意味を失うと地獄の霧が湧いてくる、
埋めるひまもないほどの殺戮が始まる、
ひとつの惑星、このひとつの惑星が死ぬ。
途中で編み間違えたセーターは、
ほどくとまた新しく編めるけれど、
もう一度くる当てもないおれの冬だ。
(「おれの冬」全編)
「おなじ未年(ひつじどし)の友に」
きみは日記を焼いたりしたことがあるかい
おれはあるんだよ、五十になった頃の秋だ
天城の尾根で三冊のノートを捨てた
生きたくもない死にたくもない変な気持だった
過去との断絶、そんなことは不可能だ
紙切れはなくなっても記憶は残るからね
それでもノートはできるだけ遠くへ投げたよ
センチメンタルだと笑われるかねえ
「風立ちぬ、いざ生きめやも」
戦争前に覚えたこの言葉を戦争が叩き潰した
おない年に生まれて先に死んだやつの顔
悪を知らなかったあの顔が忘れられるものか
生きてゆくとはそういうことだろうかねえ
おれがおりてきた薄(すすき)の尾根道も長かったよ
(「おなじ未年(ひつじどし)の友に」全編)
中桐さん、60歳の年に刊行されたようだ。
《「風立ちぬ、いざ生きめやも」
戦争前に覚えたこの言葉を戦争が叩き潰した
おない年に生まれて先に死んだやつの顔
悪を知らなかったあの顔が忘れられるものか
生きてゆくとはそういうことだろうかねえ
おれがおりてきた薄(すすき)の尾根道も長かったよ》
こういう数行が胸の奥に沁み込んでくる。テクニックではなく、本音を吐いているからだろう。
編集にはご本人はタッチせず、長田弘さんが携わった。
ソネットなので、14行詩の“しばり”がある。それで、かえって書きやすかった・・・と、中桐さんはあとがきに書いておられる。
朝日新聞「天声人語」に引用された作品があるため、かなり版を重ね、広く出回ったようだ。
《中桐雅夫の詩は、不退転の覚悟と深いいたわりにみちた憤りの詩である。
戦いと飢えで死ぬ人間がいる間は
おれは絶対風雅の道をゆかぬ
家庭で、街で、電車で、会社で、日常茶飯の出来事の裏側にひそむ暴虐さを、苦く呑みこみ、簡潔な言葉とともに吐き出す、市井に生きる人びとのための詩集。》(表紙裏の紹介文より)
「よせやい、そんなカッコいいもんじゃねえよ」
ご本人がそういっててれてしまいそうなコピーであるが、まあ、見当はずの評言でもあるまい。
エンディングの数行が決まると、ことばは行のはじめに返って鮮やかに立ち上がり、読者の心をつかむ。それがテクニックといえば、テクニック!
ソネットという形式が、かえって詩人をラクにしたのだろう。力みかえって書こうとする必要なんてないぞ、と。
中桐さんは長いあいだ読売新聞の政治部記者として会社づとめをした。「荒地」のあと「歴程」にも参加したようである。
詩人というのはことばの世界に生き、そこにある意味、全人生を賭けた人のことなので、エンターテインメントを読むときのように、ササッと読み飛ばすことはできない。
そのつもりで、時間をかけてじっくりと読んでゆく必要がある・・・のだ、一語、一行を吟味しながら。
特急列車や新幹線、飛行機で、目的地まで一直線。
ああ、忙しい、忙しい、忙しい。
あれをして、これをして、さてつぎは、と。
やたらと忙しがってばかりいる人種には、こういう詩集は向かない。ご縁がないのだ。
現代人は、大した用事もないのに「忙しがって」いる人の何と多いことだろう。
たまには立ち止まって、耳をすましてみよう。一冊の本、一冊の詩集のほとりでね。