小樽の駅から右に行くと、すぐガードの下をくぐる坂道に出、それが小樽商科大学に続く上り坂のゆったりとした坂道であった。
この坂道を、伊藤整たちは女学生とあと先にになりながら、それぞれに青春の思惑を抱いて学校に通ったのだ。遠くに向かう思いが懐かしさに似た感情を伴って浮かんできて、その思いと歩調を合わせるように私はゆっくりと坂を上りはじめた。
雪解けの水が絶えず流れ下って来るその坂道を、清楚な面 . . . 本文を読む
千歳から札幌までの電車の中で、里依子に伊藤整の本を開いてみせたのであったが、その時私は「蘭島村」とあるのを「ラントウムラ」と読んで彼女に示した。すると里依子は笑いながら「ランシマ」と読むんですと教えた。あるいはまた、「塩谷村」を「シオタニムラ」と言えば、本当に楽しそうに微笑みかけて「シオヤ」だと教えるのだった。それが可笑しくて私たちはもう一度笑った。その時の里依子の表情が実に爽やかで愛おし . . . 本文を読む
列車を待つ間も、電車の中にあっても、終始心は晴れなかった。
里依子はなるべく私といたくないと思っているのだろうか。そんな考えがいくら否定しても湧き上がってきて私を悩ませた。
列車がいよいよ小樽に着くころになって、私はもう一度伊藤整の本を取り出し、これからの道順を考え始めた。
私の前に札幌からずっと一緒に座っている若い男女がいた。二人は私のことなどまるで意識もしていないようだったが、私の方は . . . 本文を読む
「今夜札幌から夜行列車で流氷を見に行きませんか。」
以前里依子の手紙に、流氷を見に行きたいというこを書いていたことを覚えていた私が、咄嗟に思いついたことだったが、あるいは彼女も賛成するかもしれないと思ったのだ。
ところが彼女はだめだと言った。次の日に会社の祝賀会があって、その受付をしなければならないというのだった。
何度か勧めてみたが、彼女は首を横に振るばかりで、残念だと言えば一人で行 . . . 本文を読む
里依子は札幌までの切符を買った。
私は不審に思って、そのことを里依子に訊いた。札幌は小樽の手前の駅なのだ。
「昨夜電話をしたら札幌まで迎えが来ることになったんです。だから先に小樽まで行ってください。」
それは彼女の親戚の家からの出迎えのことらしかった。小樽まで一緒にという昨日の約束が、その日のうちに反故になっていたのだ。
「そうですか・・・」私はそう応えたものの淋しい気持ちの湧き . . . 本文を読む
次の朝8時に里依子から電話があって、40分にタクシーを拾って行くと伝えてきた。
今日は千歳から小樽までの間が、里依子と一緒にいられる唯一の時間となるだろう。それはここにやってくる時からわかっていたことで、里依子は小樽の親戚の家に、私は小樽の街を一人伊藤整の本を片手に歩き回る予定だった。
それは「若い詩人の肖像」という本で、詩人伊藤整の青春期をその詩情と共に描いた私小説だった。いい本だからと . . . 本文を読む
忍路(おしょろ)は伊藤整の小説「若い詩人の肖像」に感銘を受けて旅をしたわずか3日間の出来事を小説にしたものです。
伊藤整は北海道生まれの詩人、塩谷村(小樽市塩谷町)で少年期を過ごし、上記小説の舞台となる小樽高等商業学校(現小樽商科大学)を卒業します。
次回から、忍路(その4)「小樽商科大学」
忍路(その5)「塩谷」
忍路(その6)「忍路」と伊藤整の小説の舞台を訪ね . . . 本文を読む
緩やかな登り坂をしばらく行って左に折れ、小さな橋を渡った。その橋の上から見える小川は雪明りの中でおとぎの国のような優しさが感じられた。
里依子の寮はそこからすぐ左手に見えた。それは想像よりも大きく、立派な建物であった。浅黄色の壁はしかしこの夜の雪には合わないようにも思われた。幾分機能的な形がそう思わせるのかも知れなかったし、橋から見た雪景色とあまりに対照的なためだったのかも知れない。
門限 . . . 本文を読む
やがて橋の上に出た。千歳川が雪解けの水を乗せて豊富な流れとなっているその上を私達は歩いた。春を待ちわびるもののために、一刻も早く冬の残り香を海に運んでしまおうとするかのように、その早い流れは私達を包む夜気とよく調和していた。
橋をわたるとすぐホテルの前に出た。それがあまりに突然であっけなかったために、私は少なからず失望を覚えた。もう1時間はこうして歩いていたかった。
里依子の寮はそれから . . . 本文を読む
11時ごろであっただろうか、ちょうど新たな一群がやって来て、入り口で立ち往生しているところだった。
里依子の一言で私達はそこを出た。外はすでにやって来た時の雨は上がっており、代わりにはく息が白く口から横に流れた。
「歩きましょう」
そう言って私達は所々に水溜りの出来た暗いアスファルトの路を歩き始めた。
私は居酒屋の太った男から解放されて、やっと二人きりになれたという安心感があって、随 . . . 本文を読む