縄文ツアーのガイドをするので、ギャラリーに土器コーナーと石器コーナーをつくった。
今回の縄文鍋の食材は、暑さ対策もあって乾物と缶詰めが中心で、生ものはナメコだけ。
タケノコ類は根曲がり竹のような細いタイプなら縄文時代にあったらしい。ちなみに真竹は奈良時代、孟宗竹は江戸時代などが本州に入ってきた。魚貝類や動物の肉は新鮮な時には焼いたり煮たりしてくっただろうが、大部分は燻製や干物にして食っていたと思う。戦後に南方のジャングルに潜んでいた日本兵の手記には、そんな苦労が書かれている。
縄文時代の製塩は晩期からだし貴重品であったと思われ、長者ヶ原遺跡の最盛期の前期~中期の塩分は食材由来の薄味ではなかっただろうか。
干し椎茸とナメコ、イリコと貝柱などをうまみ成分にして、味わってもらった後に各自が塩や醤油で好みの味にしてもらうのが私流の縄文鍋。
手のひらサイズの完形土器は、亡くなった好事家のコレクションが捨てられそうになっていた現場に居合わせて救出した本物で、専門家に観てもらったら青森の十腰内式ではなかろうか?とのこと。もったいないねぇ。
実用品にしては小さすぎるので、祭壇用の土器ではないかな?
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