ぜひ、ブログ「板倉雄一郎事務所」へGO!
「・・・って、せっかく来たのによそのブログにフってどーすんの?」
と叱られそうですが(笑)、理由は簡単、
その方がずっと価値があって、読者のみなさんの「明日」に役立つと思うからです*´ー`*
なのでご訪問に感謝しつつ、今日と言わず、これからはぜひコチラへもご訪問ください。
地球上で最も現実を生き抜いていると思われる華人とともに20年。
私は自分を筋金入りの「現実派」と自認してきましたが、その筋金入りが平伏す、耐震対策バッチリ、全方向に最高の強度を誇る超骨太鉄骨入り「現実派」が板倉さんです。
現実的な金儲けなら、香港人タイクーンは世界的に見ても突出しているでしょうが、板倉さんは金儲けの先にあるものを、持てる知識を総動員して、惜しげもなく説いてくれます。
「カネがあったってハッピーじゃなきゃしょうがないじゃん!」
と、そこまでとことん「現実派」な訳です。この辺の感覚が、今まで知り得たどんな価値観よりも自分の感覚に近い気がして、どのエントリを読んでも驚きの連続です。(もちろん私は「カネがあったって」などと言える身ではありませんが´~`A)
リンクができない設定なので、スクロールしていただけたらと思いますが、最近のエントリなら、
7月10日のITAKURASTYLE 「私はそんなに馬鹿じゃないもん!」
とかいかがでしょう。ブームに乗り遅れまいとデイトレやFXを始める前にぜひ。
7月14日のITAKURASTYLE 「おりこうさんとおばかさん」
価値観リトマス紙のつもりでサクっとどうぞ。痛い現実を指摘された時、自分がどう反応するか。それを客観的に知るのもワルくないでしょう。
でも、今回のエントリを書こうと思った一番の理由は、同じ
7月14日のITAKURASTYLE 「潮時」
がきっかけでした。中でもこの言葉にはグッときました。
未来は、今の我々の手に委ねられています。
その我々が、「どうせだめだから」と思うのなら、
子供を作ることは「罪悪」になるだろうし、
自分の子供が居なくても、社会に対する裏切りになるでしょう。
そのフレーズの前にある、
「どうせこの国は崩壊に向かっている」とか、
「どうせ政治かもインチキばかり」とか、
という類の言葉には、私も個人的に何度か直面しました。
「日本はもうダメだ。西蘭さんはいい時に移住した。」
「これからはやっぱりニュージーランドですよ。」
とも! 私は「日本がもうダメ」だとも、「これからはNZ」だとも思ったことがないので、なんとも返事に窮してきました。
自分がいる現実を否定してよそに光を求めるのは、隣の芝生を追い続けるようなもの。芝生に見惚れて強引に隣の家に引越しても、その隣にはもっときれいな芝生があり・・・と、いうことになってしまう気がします。
幸せをよそに「求める」のは無理でしょう。なぜなら自分で「創る」ものだからです。
「うちの芝もなかなかいいじゃない!」
と思えた人から幸せになっていくんだと思います。
幸せになる方法は驚くほど簡単です。
比べないこと。
今まで何度も何度も繰り返してきましたが、これに尽きます。隣の芝を褒め、自分の芝を愛でられるようになったら、どこでどう生きていようが、かなりの確率で幸せだと思います。
板倉さんのブログからかな~り飛躍してしまったように見えるかもしれませんが(笑)、
7月18日のITAKURASTYLE 「知識とリスクヘッジ」
には、
今のハッピーは、過去の努力から来ているし、
今の努力は、未来のハッピーなのにね。
ろくに努力もせず、成功した他人を妬んでばかりいる人が多いよね。
そういう人に限って、「今のハッピー」を「今追い求めている」のよね。
それじゃ無理だっつーの。
で、ハッピーじゃない原因が、社会にあると思っていたりするのよね。
一生そのままで本当によいのでしょうかね?
・・・と、やっぱりつながります。どこにあっても自分の中に青々とした美しい芝を探していこうと思います。
そのためには日々これ、楽しく精進!
「・・・って、せっかく来たのによそのブログにフってどーすんの?」
と叱られそうですが(笑)、理由は簡単、
その方がずっと価値があって、読者のみなさんの「明日」に役立つと思うからです*´ー`*
なのでご訪問に感謝しつつ、今日と言わず、これからはぜひコチラへもご訪問ください。
地球上で最も現実を生き抜いていると思われる華人とともに20年。
私は自分を筋金入りの「現実派」と自認してきましたが、その筋金入りが平伏す、耐震対策バッチリ、全方向に最高の強度を誇る超骨太鉄骨入り「現実派」が板倉さんです。
現実的な金儲けなら、香港人タイクーンは世界的に見ても突出しているでしょうが、板倉さんは金儲けの先にあるものを、持てる知識を総動員して、惜しげもなく説いてくれます。
「カネがあったってハッピーじゃなきゃしょうがないじゃん!」
と、そこまでとことん「現実派」な訳です。この辺の感覚が、今まで知り得たどんな価値観よりも自分の感覚に近い気がして、どのエントリを読んでも驚きの連続です。(もちろん私は「カネがあったって」などと言える身ではありませんが´~`A)
リンクができない設定なので、スクロールしていただけたらと思いますが、最近のエントリなら、
7月10日のITAKURASTYLE 「私はそんなに馬鹿じゃないもん!」
とかいかがでしょう。ブームに乗り遅れまいとデイトレやFXを始める前にぜひ。
7月14日のITAKURASTYLE 「おりこうさんとおばかさん」
価値観リトマス紙のつもりでサクっとどうぞ。痛い現実を指摘された時、自分がどう反応するか。それを客観的に知るのもワルくないでしょう。
でも、今回のエントリを書こうと思った一番の理由は、同じ
7月14日のITAKURASTYLE 「潮時」
がきっかけでした。中でもこの言葉にはグッときました。
未来は、今の我々の手に委ねられています。
その我々が、「どうせだめだから」と思うのなら、
子供を作ることは「罪悪」になるだろうし、
自分の子供が居なくても、社会に対する裏切りになるでしょう。
そのフレーズの前にある、
「どうせこの国は崩壊に向かっている」とか、
「どうせ政治かもインチキばかり」とか、
という類の言葉には、私も個人的に何度か直面しました。
「日本はもうダメだ。西蘭さんはいい時に移住した。」
「これからはやっぱりニュージーランドですよ。」
とも! 私は「日本がもうダメ」だとも、「これからはNZ」だとも思ったことがないので、なんとも返事に窮してきました。
自分がいる現実を否定してよそに光を求めるのは、隣の芝生を追い続けるようなもの。芝生に見惚れて強引に隣の家に引越しても、その隣にはもっときれいな芝生があり・・・と、いうことになってしまう気がします。
幸せをよそに「求める」のは無理でしょう。なぜなら自分で「創る」ものだからです。
「うちの芝もなかなかいいじゃない!」
と思えた人から幸せになっていくんだと思います。
幸せになる方法は驚くほど簡単です。
比べないこと。
今まで何度も何度も繰り返してきましたが、これに尽きます。隣の芝を褒め、自分の芝を愛でられるようになったら、どこでどう生きていようが、かなりの確率で幸せだと思います。
板倉さんのブログからかな~り飛躍してしまったように見えるかもしれませんが(笑)、
7月18日のITAKURASTYLE 「知識とリスクヘッジ」
には、
今のハッピーは、過去の努力から来ているし、
今の努力は、未来のハッピーなのにね。
ろくに努力もせず、成功した他人を妬んでばかりいる人が多いよね。
そういう人に限って、「今のハッピー」を「今追い求めている」のよね。
それじゃ無理だっつーの。
で、ハッピーじゃない原因が、社会にあると思っていたりするのよね。
一生そのままで本当によいのでしょうかね?
・・・と、やっぱりつながります。どこにあっても自分の中に青々とした美しい芝を探していこうと思います。
そのためには日々これ、楽しく精進!