ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

ヴァン・ゴッホ・アライブ展

2021-05-22 | 映画・文化
ヴァン・ゴッホ・アライブ展
に行ってきました。場所はシティー
スパークアリーナ。入るのはお初

文化的生活を送っていない証拠💦


3月にソレミオのコンサートがここ
でありチケットもあったのですが、
ロックダウンで2回延期された結果
クライストチャーチ旅行と重なり、
次男(24歳)たちに譲りました
今回は次男たちと行きました


代表作「ひまわり」だからコレ💦

ひまわり前はちょっとしたインスタ
スポットになっていて狙ってます


ポルシェもスポンサーでこうなる



ヴァン・ゴッホの寝室という絵



絵を模したこれまた写真スポット

テーブルに座って写真が撮れます。


そして暗い通路を抜けて隣の空間。

暗闇に浮かび上がるめくるめく色
そして高らかに奏でられる音楽。


静止画であるはずの絵画が、時に
動き、時に止まり、時に消え



マルチメディアの威力で観る者も
その一部となるような一体感。



画家が好んだ鮮やかで濃厚な色に



観客のシルエットが重なります。



さんざめく明るさと



深く優しい暗闇と。

あっという間にヴァン・ゴッホの
世界に引き込まれていきます。


オランダ人だったヴァン・ゴッホの
渡仏するまでの作風は非常に暗く、
重く、貧しさを描いたものが多く、



それがパリに渡ったことでガラリと
変っていき、明るく軽く華やかに。



しかし、作風とは裏腹に本人は心に
暗く深い闇を抱えていきました。



その中で彼が一途に愛した日本画



ジャポネスクがそこここに登場し、



姪っ子の誕生を祝して描かれた
「花咲くアーモンドの木の枝」

ここには桜吹雪のビジュアルが
重なって彼の想像の世界を再現。


ヴァン・ゴッホは短い生涯に2千点
以上の作品を残していながら、生前
に売れたのは1点のみだったそう。



愛なくして生きられない

と語る本人にとり絵が売れない事は
生活の苦しさ、弟の支援なしに生き
られないという現実以前に、世間か
らの拒絶であり、認められない、
愛されないという実感だったよう。


苦しみと貧しさの中で出会う南仏の
ひまわり。代表作のモチーフに。



しかし、本人の苦しみは癒えること
なく、その地で自らの片耳を切り落
とし、それを馴染みの娼婦に届ける
という猟奇的事件を起こします。

耳切り事件後の肖像画は余りに有名
しかし、それ以外にもおびただしい
数の肖像画があり、愛のない暮らし
の中で自分だけを見つめていたのが
心苦しくなるほど自分、自分、自分


最期は拳銃で自ら命を絶ち37歳没。



私は全身全霊をかけて創作に励み、
その過程で心を失ってしまった。



作品が売れないという現実を覆す
ことはできないが、世間が私の作
品の価値を見出す時が来る・・・




才能を自覚していた天才が求めて
も与えられなかった、承認と愛。
生き急いだ人生の後に残された
至宝のなんと皮肉で美しいこと。


最後に設けられていたソーシャル
メディア向けひまわりルーム

写真を撮ってどんどんシェアして
という主催者側が狙った場所です。


でも私には白い菊ではなく黄色の
ひまわりに埋め尽くされた葬儀場
のように見えてしまいました。



改めて知った孤高の天才に合掌




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