なぜストーニーリバーホテルに泊まると
ストーミーな天気になるのかはいざ知らず(笑)
やっぱり好きな場所
何度も来てりゃ
いつかは晴れるでしょ
周囲の農場の牛も雨の中
でも寒くはなく
雄牛が笑ってる
ニュープリマスに来たものの
この大雨ではどこにも行けず
こんな時でもココがある
博物館
というか総合文化施設
プケアリキ
博物館あり
観光客には観光案内あり
地元の人には図書館あり
図書館と博物館は橋でつながっていました。
それにしても・・・・な大雨(笑)
展示は入植者を中心とした近代史
(※NZでは博物館で見られるものは近現代史しかないとも言えますが)
10年にわたったタラナキ戦争のことも
文章だけで
パーマストンノースのテマナワ博物館では
マオリの来し方や暮らしぶりもじっくり見られたので
ちと残念
白人率の高さが南島並みのタラナキにあっては
やはり自分たちの来し方も重要なんでしょう。
材木の標本
NZ原産の木がこんな風に見比べられるなんて
地味なものながら非常にアガりました
タラナキといえばこのタイガーカラー
去年のITMカップ優勝の感動が蘇る
地域代表ラグビーチームの中をぐるぐる巡るランファリーシールド
(※詳しくはコチラで)
そのタラナキの防衛戦でワイカトが色仕掛けで来たという風刺画
タラナキとワイカトはともに一大酪農地帯
どっちも真っ平な一大平野部で、商業価値の高い肥沃な土地ゆえに
ともに英軍相手にタラナキ戦争とワイカト戦争を戦わざるをえなかった
という皮肉で過酷な歴史
でも、タラナキにあってワイカトにないもの
それは石油と天然ガス
エネルギー産業の地域GDPへの寄与がこの酪農地帯をしても
酪農の2.5倍
(※オーストラリアという国が儲かるのもむべなるかな)
やっぱり天然資源は儲かるんですねー
取り尽くせばそこで終わるにしても。
でもエネルギーは再生可能なことにこそ真の価値があるはず。
エンジンオイルがこんなビール瓶みたいなのに入ってるー
入植者の当時の生活をしのばせるものが大好きな私
こ、凝ってる
これも
ティーポットカバー
こんなクッション
買えるものなら今でもほしい
細かい手作業と配色がどれも神
タラナキといえば地銀のTSB
最初はニュープリマス貯蓄銀行として
まさにプケアリキの建つこの地に1850年に誕生
ワイタンギ条約から10年後
タラナキ戦争が始まる10年前
という歴史の端境期のようなタイミング
最初の預金者は1850年9月28日に預金した
地位の高いマオリ商人ワイタラ・テ・カレイ
ワイカトとの境にあるモカウから馬に乗ってやってきて
34ポンドを入金したんだそうです。
会計士の年収が20ポンドの時代だったので、相当な高額です。
商人とはいえマオリが預金のコンセプトを理解し、銀行を信頼し、
パケハの銀行に大金を預けたというこの史実に驚きました。
その10年後のタラナキ戦争のスケッチがこうだというのに!
最高に感動したのがこの小さく写っている猫ジンジャー
標高2,518mのタラナキ山に初めて登頂した猫
1917年に登山者のグループにくっついて登り、初登頂
その後3回も登ったというタフな猫
スゴいー
プケアリキにはカフェも併設されていて
天気が良ければ最高の眺めでは?
なにせ目の前はこんな場所
でも、嵐だとこんな(笑)
地下には音楽専門の展示コーナーもありました。
2階の展示にも行き着けず
またいつか
プケアリキのカフェを見送ったのは
ここに来たかったから
前にも来たことがある
プチ・パリ
シックなフランスではなく
私にはむしろ懐かしい庶民的なフランスの感じが逆に本場っぽく
なかなか好きな場所
パティスリーもまちがいなく美味しいし
パリの同時多発テロの後だったので
PEACE FOR PARISのロゴが。
2016年こそ平和が訪れますように。
まだまだ行きたいところがあるあるのニュープリマス
ぜひ次回はお天気に恵まれますように(祈)
ということで、11月のパーマストンノース&ニュープリマス旅行記計10本
完結
長々とお付き合いありがとうございました。
(※やったー年内終了だぁ)
ストーミーな天気になるのかはいざ知らず(笑)
やっぱり好きな場所
何度も来てりゃ
いつかは晴れるでしょ
周囲の農場の牛も雨の中
でも寒くはなく
雄牛が笑ってる
ニュープリマスに来たものの
この大雨ではどこにも行けず
こんな時でもココがある
博物館
というか総合文化施設
プケアリキ
博物館あり
観光客には観光案内あり
地元の人には図書館あり
図書館と博物館は橋でつながっていました。
それにしても・・・・な大雨(笑)
展示は入植者を中心とした近代史
(※NZでは博物館で見られるものは近現代史しかないとも言えますが)
10年にわたったタラナキ戦争のことも
文章だけで
パーマストンノースのテマナワ博物館では
マオリの来し方や暮らしぶりもじっくり見られたので
ちと残念
白人率の高さが南島並みのタラナキにあっては
やはり自分たちの来し方も重要なんでしょう。
材木の標本
NZ原産の木がこんな風に見比べられるなんて
地味なものながら非常にアガりました
タラナキといえばこのタイガーカラー
去年のITMカップ優勝の感動が蘇る
地域代表ラグビーチームの中をぐるぐる巡るランファリーシールド
(※詳しくはコチラで)
そのタラナキの防衛戦でワイカトが色仕掛けで来たという風刺画
タラナキとワイカトはともに一大酪農地帯
どっちも真っ平な一大平野部で、商業価値の高い肥沃な土地ゆえに
ともに英軍相手にタラナキ戦争とワイカト戦争を戦わざるをえなかった
という皮肉で過酷な歴史
でも、タラナキにあってワイカトにないもの
それは石油と天然ガス
エネルギー産業の地域GDPへの寄与がこの酪農地帯をしても
酪農の2.5倍
(※オーストラリアという国が儲かるのもむべなるかな)
やっぱり天然資源は儲かるんですねー
取り尽くせばそこで終わるにしても。
でもエネルギーは再生可能なことにこそ真の価値があるはず。
エンジンオイルがこんなビール瓶みたいなのに入ってるー
入植者の当時の生活をしのばせるものが大好きな私
こ、凝ってる
これも
ティーポットカバー
こんなクッション
買えるものなら今でもほしい
細かい手作業と配色がどれも神
タラナキといえば地銀のTSB
最初はニュープリマス貯蓄銀行として
まさにプケアリキの建つこの地に1850年に誕生
ワイタンギ条約から10年後
タラナキ戦争が始まる10年前
という歴史の端境期のようなタイミング
最初の預金者は1850年9月28日に預金した
地位の高いマオリ商人ワイタラ・テ・カレイ
ワイカトとの境にあるモカウから馬に乗ってやってきて
34ポンドを入金したんだそうです。
会計士の年収が20ポンドの時代だったので、相当な高額です。
商人とはいえマオリが預金のコンセプトを理解し、銀行を信頼し、
パケハの銀行に大金を預けたというこの史実に驚きました。
その10年後のタラナキ戦争のスケッチがこうだというのに!
最高に感動したのがこの小さく写っている猫ジンジャー
標高2,518mのタラナキ山に初めて登頂した猫
1917年に登山者のグループにくっついて登り、初登頂
その後3回も登ったというタフな猫
スゴいー
プケアリキにはカフェも併設されていて
天気が良ければ最高の眺めでは?
なにせ目の前はこんな場所
でも、嵐だとこんな(笑)
地下には音楽専門の展示コーナーもありました。
2階の展示にも行き着けず
またいつか
プケアリキのカフェを見送ったのは
ここに来たかったから
前にも来たことがある
プチ・パリ
シックなフランスではなく
私にはむしろ懐かしい庶民的なフランスの感じが逆に本場っぽく
なかなか好きな場所
パティスリーもまちがいなく美味しいし
パリの同時多発テロの後だったので
PEACE FOR PARISのロゴが。
2016年こそ平和が訪れますように。
まだまだ行きたいところがあるあるのニュープリマス
ぜひ次回はお天気に恵まれますように(祈)
ということで、11月のパーマストンノース&ニュープリマス旅行記計10本
完結
長々とお付き合いありがとうございました。
(※やったー年内終了だぁ)