旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

下鴨神社

2007年01月11日 | 旅 歴史
 下鴨神社は京都で最も古い神社の一つで、正式には賀茂御祖(かもみおや)神社といいます。古代豪族賀茂氏の氏神社で、上賀茂神社と合わせて賀茂社と総称されていました。
 下鴨神社の祭神は、賀茂建角身命(かもたけのつみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)です。前者は西殿に、後者は東殿に祀られています。朝廷の尊崇も厚く、「源氏物語」をはじめ数々の文学に登場しています。
 上賀茂神社を上社というのに対し、ここは下社と呼ばれています。南に広がる「糺の森」は、樹齢200年から600年にもなる老樹が茂り、昔は神々の審判の場であったといわれています。
「糺の森」を抜け、参道の行き着いた先にある大きな鳥居をくぐると、奥に朱塗りの鮮やかな「楼門」が建っています。
 現存の「楼門」は寛永5年(1628年)に建て替えられたもので重要文化財に指定されています。
 「糺の森」は古代の山城国(京都)の原野として、国の史跡に指定されています。東本殿と西本殿の国宝が2棟、楼門など53棟の社殿群が重要文化財に指定されています。平成6年には世界文化遺産にも登録されました。
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京都市中央区二条通にある二条城です。

2007年01月11日 | 旅 歴史
 桃山文化の粋が結集されている二条城は、慶長8年(1603)徳川家康が、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿所として京都所司代板倉勝重に命じて造営したものです。
 慶長16年(1611)、後水尾天皇の皇位継承のために上洛した時は、この城で豊臣秀頼と会見しています。また慶長19年(1614)の大阪冬の陣、翌年の夏の陣では幕府方の作戦本部になりました。
 寛永3年(1626)三代将軍家光が後水尾天皇を迎えるために大改修を行い大体いまの体裁を整えました。寛延3年(1750)伏見城から移築した天守が落雷で焼け、天明の大火では本丸のすべてと櫓や門の一部が焼失してしまいました。
 幕末になると開国をめぐり公武の緊張が高まり、14代将軍家茂が二度にわたって上洛し二条城に滞在したそうです。最後の15代将軍慶喜は慶応2年(1866)ここで将軍職を拝命し、翌年大政奉還をしています。
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