旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

霧島神宮

2011年05月21日 | 旅 歴史
 鹿児島県霧島市霧島田口にある霧島神宮です。
 霧島神宮は、平成元年5月19日、国の重要文化財に指定されています。霧島神宮は、天孫降臨 迩迩芸命(ニニギノミコト)を祀る神社です。
 天照大神は、孫であるニニギノミコトに、高天原から降りてこの国を治めよと命令しました。
 ニニギノミコトは三種の神器を譲り受け七人のお供の神と一人の道案内(猿田彦命)の神と共に高千穂の峰に降りたのでした。これが天孫降臨の神話の由来です。
 高さ23mの大鳥居をくぐり、杉木立の参道を上ると、絢爛たる朱塗りで入母屋造の社殿と拝殿が荘厳と立っています。ともに重要文化財に指定されています。
 本殿には、ニニギノミコト以下七柱をお祀りしてあります。本殿、拝殿はもとより登廊下、勅使殿等、その配置が素晴らしく宏大で壮麗な美しさです。
 第29代欽明天皇の御代、慶胤という僧が、高千穂峯と火常峯(現御鉢)との中間の背門丘(せおと)に、社殿を建てたのが始まりであるといわれます。
 鎌倉時代になって、霧島山の大噴火があり、社殿を焼失してしまいました。その後、社殿を山の東にあたる長尾山に移したそうです。
 文明16年(1484)、島津忠昌は、この社を東西両社に分け、東社を瀬戸尾に遷座、この社が現在、宮崎県西諸県郡高原町の霧島東神社です。
 西社は、大隅国姶良郡田ロに建てられました。これが、現在の霧島神宮なのです。
 その後、火事で全焼の災にあいました。正徳5年(1715)時の藩主島津吉貴の寄進によって再建されました。これが現在の社殿です。
 明治7年(1874)までは、霧島神社と称されていたそうです。また霧島西御在所六社権現とも呼ばれ、薩摩藩歴代の篤い尊崇と衆庶の崇敬を集めてきたのです。
 慶応2年(1866)坂本龍馬と妻おりょうは薩摩を訪れています。霧島山の峰にある天の逆鉾を見ようと高千穂登山をしたそうです。そしてこの霧島神宮にも参拝しています。現在の新婚旅行の走りでした。

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