京都府八幡市八幡清水井に正法寺(しょうぼうじ)があります。
徳迎山正法寺は浄土宗のお寺です。正法寺は源頼朝の御家人で石清水八幡宮の社家・志水氏の祖となった高田忠国が開基となり、建久2年(1191)に創建したと伝えられています。
それ以後、志水氏の菩提所となり、第11世伝誉上人の天文15年(1546)には後奈良天皇の祈願所となっています。現在唐門に掲げられている「徳迎山」の額と、本堂に掲げられている「正法寺」の額は後奈良天皇から額字を賜ったものです。
桃山時代末期の文禄3年(1594)、志水宗清の娘お亀(後の相応院)が、徳川家康の側室となり、慶長5年(1600)に後の尾張藩祖・義直を生み、生母となりました。その後、亡くなってからは相応院の菩提寺として、江戸時代を通して尾張藩の厚い庇護を受けました。
明治に入り、神仏分離令後の廃仏毀釈により、石清水八幡宮の八角堂が正法寺の境外堂宇として車塚古墳上に移され、仏像、木像も移されました。八角堂は建保年間(1213-1219)に石清水八幡宮の社家善法寺祐清が建立したもので、慶長12年(1607)に豊臣秀頼によって再建された建物です。
現在の正法寺の伽藍は相応院が寄進したもので、寛永6年(1629)頃に建立されました。本堂、唐門、大方丈は国の重要文化財に指定され、小方丈、書院、鐘楼は京都府の有形文化財に指定されています。石清水八幡宮の本地仏で八角堂に安置されていた阿弥陀如来坐像は国重文で京都国立博物館寄託となり、現在は、宝物館の法雲殿に収蔵されています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/
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徳迎山正法寺は浄土宗のお寺です。正法寺は源頼朝の御家人で石清水八幡宮の社家・志水氏の祖となった高田忠国が開基となり、建久2年(1191)に創建したと伝えられています。
それ以後、志水氏の菩提所となり、第11世伝誉上人の天文15年(1546)には後奈良天皇の祈願所となっています。現在唐門に掲げられている「徳迎山」の額と、本堂に掲げられている「正法寺」の額は後奈良天皇から額字を賜ったものです。
桃山時代末期の文禄3年(1594)、志水宗清の娘お亀(後の相応院)が、徳川家康の側室となり、慶長5年(1600)に後の尾張藩祖・義直を生み、生母となりました。その後、亡くなってからは相応院の菩提寺として、江戸時代を通して尾張藩の厚い庇護を受けました。
明治に入り、神仏分離令後の廃仏毀釈により、石清水八幡宮の八角堂が正法寺の境外堂宇として車塚古墳上に移され、仏像、木像も移されました。八角堂は建保年間(1213-1219)に石清水八幡宮の社家善法寺祐清が建立したもので、慶長12年(1607)に豊臣秀頼によって再建された建物です。
現在の正法寺の伽藍は相応院が寄進したもので、寛永6年(1629)頃に建立されました。本堂、唐門、大方丈は国の重要文化財に指定され、小方丈、書院、鐘楼は京都府の有形文化財に指定されています。石清水八幡宮の本地仏で八角堂に安置されていた阿弥陀如来坐像は国重文で京都国立博物館寄託となり、現在は、宝物館の法雲殿に収蔵されています。
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