京都府八幡市八幡高坊に石清水八幡宮があります。
石清水八幡宮の本社の本殿は、貞観元(859)年、清和天皇の勅命により木工寮権允・橘良基が六宇の社殿を造立しました。現在の社殿は寛永11年(1634)、徳川3代将軍・徳川家光によって再建された建物です。
本殿は前後2棟からなる「八幡造り」と呼ばれる古い建築様式で、前面に連なる幣殿と舞殿を瑞籬と廻廊で囲み、一体化させた社殿です。内殿は間口11間、奥行2間、単層、切妻造り、檜皮葺きで、外殿は間口11間、奥行2間、向拝があり単層、流造り、檜皮葺きで、間に相の間があります。
内殿と外殿の相の間には織田信長が寄進した「黄金の雨樋」が架けられています。天正7年(1579)に山崎寶積寺に逗留した信長が木製の雨樋が朽ち雨漏りがしている事を聞き、翌年、金銅製の雨樋に造り替えたといわれています。平成28年に「石清水八幡宮本社」10棟が国宝に指定されました。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/
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石清水八幡宮の本社の本殿は、貞観元(859)年、清和天皇の勅命により木工寮権允・橘良基が六宇の社殿を造立しました。現在の社殿は寛永11年(1634)、徳川3代将軍・徳川家光によって再建された建物です。
本殿は前後2棟からなる「八幡造り」と呼ばれる古い建築様式で、前面に連なる幣殿と舞殿を瑞籬と廻廊で囲み、一体化させた社殿です。内殿は間口11間、奥行2間、単層、切妻造り、檜皮葺きで、外殿は間口11間、奥行2間、向拝があり単層、流造り、檜皮葺きで、間に相の間があります。
内殿と外殿の相の間には織田信長が寄進した「黄金の雨樋」が架けられています。天正7年(1579)に山崎寶積寺に逗留した信長が木製の雨樋が朽ち雨漏りがしている事を聞き、翌年、金銅製の雨樋に造り替えたといわれています。平成28年に「石清水八幡宮本社」10棟が国宝に指定されました。
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