旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

神護寺

2018年04月19日 | 旅 歴史


 京都府京都市右京区梅ヶ畑高雄町に神護寺(じんごじ)があります。
 高雄山神護寺(じんごじ)は高野山真言宗遺跡(ゆいせき)(弘法大師が住んだ寺)の別格本山です。正式には「神護国祚真言寺(じんごこくそしんごんじ)」というそうです。神仏習合が許されていた江戸時代以前、神社に付属しこれを管理した寺のことを神護寺といいます。神宮寺または別当寺と同じです。
 この場所には和気清麻呂(わけのきよまろ)一族の氏寺と思われる高雄山寺というお寺があったそうです。延暦21年(802)、和気氏の当主・和気弘世は和気広虫(法均尼)の3周忌の際、最澄を高雄山寺に招請し、法華経の講義も行われたそうです。
 唐から帰朝した空海(弘法大師)は、大同4年(809)、高雄山寺に入寺し、14年間住持し、多くの弟子たちに灌頂(かんじょう)という儀式を行っています。そして天長元年(824)、8世紀末に和気清麻呂によって創建された神願寺がこの高雄山寺と一緒になり、神護国祚真言寺となりました。
 空海の後を継いだ十大弟子の一人真斉(しんぜい)が伽藍を整え、真言宗寺院としての基礎を固め、国家鎮護の道場となりました。しかし、久安5年(1149)の火災によって金堂など数多くの堂宇が焼失し、荒廃しました。
 平安末期、中興したのが文覚(もんがく)上人でした。後白河上皇から勅許を得、源頼朝の援助も得て、神護寺は再興されました。文覚の弟子の上覚(高山寺を中興した明恵の叔父)により、なお繁栄し、鎌倉時代には華厳宗のお寺となりました。
 応仁の乱の兵火で神護寺は再び焼失し、荒廃しました。その後、豊臣秀吉や徳川家康の寺領寄進や援助により、再建されました。納涼房と呼ばれた大師堂は国の重要文化財に指定され、鐘楼にかかる銅鐘は国宝です。本尊の薬師如来立像や多宝塔内の五大虚空蔵菩薩坐像も国宝です。

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