旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

三宝院

2019年08月11日 | 旅 歴史

 京都府京都市伏見区醍醐東大路町に醍醐寺塔頭の三宝院があります。
 深雪山(みゆきさん)醍醐寺は醍醐山全山を寺域とする京都屈指の大規模寺院です。伽藍は広く、山上の上醍醐と裾野の下醍醐に分かれ、80余りの堂塔が立っています。下醍醐には 塔頭(たっちゅう)の三宝院があり、有名な醍醐寺座主を輩出しました。
 三宝院は醍醐5門跡(三宝院、理性院、金剛王院、無量寿院、報恩院)の1つで、真言宗醍醐派に属し、修験道当山派本山です。永久3年(1115)、左大臣源俊房の子で醍醐寺14世の勝覚が創建しました。当初は灌頂院と称し、後に仏教の三宝にちなんで三宝院と改称したそうです。
 5門跡の高僧が交替で醍醐寺の座主を務めていましたが、黒衣の宰相とよばれた25世の満済(まんさい)が、足利将軍家の信任を得て、醍醐寺座主を兼任するようになり、寺運も栄え、三宝院門跡が座主を兼ねるのが通例となったそうです。
 足利将軍家の援助を受け全盛期を迎えましたが、文明2年(1470)、応仁の乱などの兵火によって三宝院の殿舎は焼失し、荒廃しました。慶長年間(1596-1615)に醍醐寺座主・義演(ぎえん)が豊臣秀吉の帰依を得て、醍醐寺とともに再興されました。
 江戸時代になると、醍醐寺を開山した聖宝(しょうほう)・理源(りげん)大師が聖宝が金剛、葛城や大峰などで修験の練行を積んだことから、修験道当山派の本山として発展し,、寺領4800石を与えられました。明冶5年(1872)に、修験宗が廃止させられてしまいましたが、現在は真言宗醍醐派、修験道当山派本山となっています。
 三宝院の唐門と三宝院殿堂の表書院は国宝に指定されています。殿堂の中の玄関、勅使の間・秋草の間・葵の間、宸殿、護摩堂、庫裏、純浄観(じゅんじょうかん)など建造物の大半が国重文に指定され、石造宝篋印塔も国重文です。また醍醐寺三宝院庭園は国の特別史跡・特別名勝に指定されています。

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