長野県上田市真田町長(おさ)に真田氏本城跡(さなだしほんじょうあと)があります。
真田氏本城は規模の大きな山城です。松尾新城、住連寺城などとも呼ばれています。真田氏が上田城を築くまえの本城といわれています。隣にある天白城とともに馬蹄形状に構築されています。
本郭は東西8.8m、南北37mの広さです。北へ二の郭、三の郭と段差を設けながら延長し、その先は急な崖となっています。
新田大作作詞の真田氏本城の石碑が建てられています。
山嶽幾重連陣営 縦横布置緻行兵 今朝錦繍一望遠 覇業遙思古本城
上田盆地への眺望が開け、眼下には小県(ちいさがた)と北上州を結ぶ上州道を押さえています。熊久保集落の上方の沢から山腹を回して城内近くまで水も引いていたそうです。
ここから見える戸石城は幸隆が武田に組した時、信濃の勇で千曲川流域に勢力を有した村上義清の支配下にありました。父を追放した武田信玄は破竹の勢いで勢力を拡大しました。
天文19年(1550)信玄は村上軍の前線基地の戸石城を攻めました。ところが戸石城を落とすどころか「戸石くずれ」という大敗北を喫してしまいました。普代の重臣もこの時多く失っています。
ところがこの翌年、真田幸隆が独力で難攻不落の戸石城を調略し、一夜にしてこれを落城させたというのです。文献では真田が「乗取」という一文があるだけだそうです。
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