旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

手長神社拝殿

2023年01月01日 | 旅 歴史

 長野県諏訪市茶臼山に手長神社はあります。
 手長神社の拝殿は天明8年(1788)に諏訪の大工・立川和四郎富棟が棟梁になり建てられています。間口2間、奥行1間、木造平屋建て、入母屋造り、平入、銅板葺きで、外壁は真壁造り板張りになっています。欅の木目を活かした重厚な建物です。
 正面には軒唐破風があり、細部に唐獅子、龍などの彫刻が施されています。また拝殿の左右には間口2間、奥行1間の片拝殿が付けられています。手長神社の拝殿は昭和59年(1984)に諏訪市の有形文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


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手長神社

2023年01月01日 | 旅 歴史

 長野県諏訪市茶臼山に手長神社はあります。
 手長神社は足長神社とともに桑原村の総鎮守でしたが、上桑原と下桑原に分かれた時、下桑原の産土神として遷座し、手摩乳命を祭神としています。足長神社と同じく諏訪大社上社の末社でもあります。
 天正19年(1591)に高島城が築かれると手長神社は城の北東にあたり、城の鬼門除けとして歴代城主に崇敬され、広い社領が安堵されました。例祭で奉納される八朔相撲には各地から有力力士が集まり、諏訪大社上社の十五夜相撲、田沢稲荷の二百十日相撲と共に諏訪三辻に数えられました。
 手長神社は古くから神仏習合し「手長宮」、「手長大明神」などと呼ばれました。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃されています。明治5年(1872)に村社、明治32年(1899)に郷社、大正13年(1924)に県社に列しています。

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