旅と歴史

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朝護孫子寺

2020年08月09日 | 旅 歴史

 奈良県生駒郡平群町(へぐりちょう)信貴山に朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)があります。
 朝護孫子寺は正式には信貴山(しぎさん)歓喜院朝護孫子寺という信貴山真言宗の総本山です。延喜2年(902)、明蓮が醍醐天皇の勅命で創建した時、「朝廟安穏 守護国土 子孫長久」の願文から名付けたそうです。
 寺伝では聖徳太子が物部守屋討伐を祈願し、寅の年、寅の日、寅の刻に毘沙門天から加護され討伐に成功したことから、「信ずべき山、貴ぶべき山」信貴山と名づけられ、命蓮上人平癒の祈願で醍醐天皇の病が全快し、朝護孫子の号を賜ったとなっています。
  平安時代以降は、外敵退散、悪魔降伏を祈る毘沙門天信仰から武人の崇敬を集め、河内の豪族・河内正康も深く毘沙門天に帰依しました。その子供には多聞丸と名付けました。のちの楠木正成です。菊水紋のついた甲冑(重文)と、菊水の旌旗が正成により奉納されています。
 三好長慶の家臣であった松永久秀は、長慶の死後、京の実権を握りました。足利義昭を奉じて大挙入洛した織田信長に服属しましたが、朝倉・浅井に挟撃され敗退した織田を裏切り、永禄3年(1560)、信貴山に城を築き立てこもりました。
 信長は1日で信貴山を焼き払い、久秀は平蜘蛛の釜とともに爆死しました。この時の兵火で朝護孫子寺も灰燼に帰しました。慶長7年(1602)に豊臣秀頼によって再興され、徳川幕府には保護されました。しかし、昭和26年(1951)に本堂は焼失しました。

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