旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

綾城

2011年03月16日 | 旅 歴史
 宮崎県東諸県郡綾町北俣にある綾城です。
 綾町の歴史は非常に古く、中央台地の尾立地区には縄文遺跡があります。古墳時代には、大工園古墳、四反 田古墳、王ノ塚古墳などが作られました。
 康保4年(967)の律令の延喜式には日向 16駅の1つに亜椰(綾)駅と記されています。奈良時代には既に宮崎から熊本に通じる要衝として 栄えていたようです。
 鎌倉幕府が開かれて間もない建久8年(1197)には伊東氏が日向の地頭 となり、綾を含む宮崎平野一帯を所領しました。
 綾郷の最初の領主となったのは、鎌倉時代末の元弘年間(1331~1334)にこの地に下向した足利尊氏の家臣細川小四郎義門です。
 その子義遠は、収納使として、綾を領有し、綾氏と称しました。綾町のシンボルでもある綾城は、ちょうどこのころ建てられたものです。
 この綾城は当時の城をそのままでなく日本城郭協会の時代考証に基づき戦国時代初期の山城として造られました。すべて綾産の木を使用して日本最古の山城を再現したのです。
 綾氏は数代に渡り城主としてこの地方を治めていましたが、室町時代八代将軍義政の頃、 都於郡城を根拠として日向の国の一大豪族となった伊東氏の家臣となりま した。伊東氏48城のひとつとなり島津氏と戦う重要拠点となったのでした。
 都於郡城主伊東義祐は野尻城主などの謀反により島津に追われる身となりました。綾城主佐土原遠江守は天正5年(1577)義祐を城内に迎え入れました。
 佐土原遠江守と田中国広は島津の追手から身を守る算段をととのえて、その策を義祐に進言したのでした。その様子を綾城内で再現しています。
 伊東氏は元亀3年(1572)の木崎原の戦いで敗れ、天正6年(1578)の戦史に残る耳川の戦 いにも敗れて豊後に落ちました。綾郷の人々は、最後の一戦まで伊東を見捨てず戦ったそうです。
 天正5年(1577)に綾郷は島津氏の支配下におかれることになります。そしてこの島津氏の統治は、明治維新を迎えるまで続きました。

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平和台公園

2011年03月15日 | 旅 歴史
 宮崎県宮崎市下北方町にある平和台公園です。
 宮崎市の北西標高60mの丘陵地に位置する「平和台公園」から遠く日向灘や宮崎市を一望できます。皇紀2600年の記念事業として、昭和14年(1939)5月20日着工し昭和15年11月15日竣工した高さ37mの平和の塔があります。
 秩父宮殿下の真筆による「八紘一宇」(はっこういちう)の文字が刻まれ、かつては八紘台と呼ばれましたが、戦後は平和台と改められました。塔を製作した日名子実三氏は昭和13年秋頃より約2ヶ月間、宮崎県下の高千穂、美々津、西都原等を見て回り、構想を得たそうです。終戦の昭和20年(1945)8月にはその精神が戦争目的に利用されたとして削除されましたが現在は復元されています。

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宮崎県総合博物館・民家園

2011年03月14日 | 旅 歴史
宮崎県宮崎市神宮にある宮崎県総合博物館・民家園です。
 宮崎県指定有形文化財の米良の民家です。西米良村にあった黒木家住宅を移築復元しています。文政4年(1821)頃の建築です。
 この民家は山間の三段石積みの上に建てられていたもので、外観、間取りなど古い西米良の農家の形が残されています。
 
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宮崎県総合博物館

2011年03月13日 | 旅 歴史
 宮崎県宮崎市神宮にある宮崎県総合博物館です。
 宮崎県総合博物館では宮崎の自然史と歴史民俗を体験、探求することができます。母体は1951年設置された県立博物館でした。昭和46年(1971)に自然美術を加えた総合博物館として開館したそうです。
 自然史展示室では、宮崎県を代表する照葉樹の森を中心に、水辺や海の自然、動植物の生態をガラス張りの床下から天井までを使ったジオラマで再現してリアルに展示しています。
 民俗展示室には民俗資料の宝庫である椎葉村などから集められた宮崎ならではの貴重な展示がされています。
 平成10年(1998)にリニューアルオープンして展示資料の他、シアターやAV機器が多数設置され、検索や映像などが楽しめるようになりました。また、「みんなの情報室」には、図書類や映像資料、標本等が置いてあり、無料で利用できます。

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宮崎神宮

2011年03月12日 | 旅 歴史
 宮崎県宮崎市神宮にある宮崎神宮です。
 初代の神武天皇を祀る神社です。深い森に守られた歴史を秘めた神宮です。古くは神武天皇社と呼ばれていたそうです。
 旧官幣大社でした。神武天皇を祭神とし、左の相殿に父ウガヤフキアエズノミコト、右の相殿に母タマヨリヒメをお祀りしてあります。
 現在の社殿は明治39年の造営で、狭野杉で造営された流れ造りの清楚な社殿です。材料は全部県産の狭野杉だそうです。
 白木造りの神殿は、楠・杉の森に囲まれていて荘厳なたたずまいになっています。土産品店や屋台が立ち並ぶことなく、広大な緑の森に囲まれ清らかですがすがしく格式と歴史を感じる社です。
 ここは神武天皇の東征以前、都がおかれていたようです。神武天皇の皇子神八井耳(かむやいみみ)命の子、建磐竜(たけいわたつ)命が筑紫の鎮守となられた折、この地に天皇を祀ったのが始まりといわれています。
 後世後鳥羽天皇の時代の建久8年(1197)には地頭の土持太郎信綱が社殿を造営したようです。そして正保元年(1644)、文化10年(1813)、天保10年(1839)に造営改築されています。
  明治6年(1873)5月宮崎神社と改称されて県社になっています。明治11年(1878)11月宮崎宮と改められ、明治18年(1885)4月24日官幣大社に昇格しました。大正2年(1913)7月4日宮崎神宮と改められました。
 毎年10月下旬ごろには「神武さま」の名で親しまれている「宮崎神宮大祭」が行なわれます。神賑(しんしん)行列は宮崎神宮を出発し、瀬頭御旅所まで、ゆったりとしたペースで練り歩く祭りです。この行列には鵜戸さん詣りで記述したシャンシャン馬も花をそえ、宮崎の秋の風物詩となっているそうです。

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安井息軒廟

2011年03月11日 | 旅 歴史
 宮崎県清武町加納甲にある安井息軒廟です。
 生涯を学問に捧げた 郷土の偉人、安井息軒の廟です。先人廟に合祀されていた安井息軒のさらなる顕彰を目的として、平成6年に町内外有志によって建立されました。

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安井息軒旧宅

2011年03月10日 | 旅 歴史
 宮崎県清武町大字加納甲にある安井息軒旧宅案内です。
 安井息軒は幕末の偉大な儒学者です。息軒は寛政11年(1799)学問所で子弟の教育に当っていた安井滄洲(そうしゅう)の次男としてこの旧宅で生まれたのです。
 字は仲平といい、息軒はその号の一つです。幼い頃から貧しい家計を助けながら学問に傾倒し、22才から29才まで大阪、江戸で苦学し帰郷後、創建された郷校「明教堂」で父とともに近郊子弟の教育にあたりました。
 「一日の計は朝にあり。一年の計は春にあり。一生の計は少壮の時にあり。」という考えのもと、多くの人材を育てたそうです。森鴎外著「安井夫人」で紹介した川添佐代と結婚しました。


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きよたけ歴史館

2011年03月09日 | 旅 歴史
 宮崎県清武町加納甲にあるきよたけ歴史館です。
 ここは、平成14年(2002)の安井息軒の命日にあたる9月23日にオープンしました。安井息軒展示室を中心に、考古展示室や図書資料室、展望室等を配しています。
 この場所は安井息軒の父滄洲(そうしゅう)の尽力により藩校に先駆けて創建された郷校「明教堂」の跡地です。本町文教発祥の地でもあるのです。


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サンマリンスタディアム

2011年03月08日 | 旅 歴史
 宮崎県宮崎市大字熊野にあるサンマリンスタディアムです。
 太陽と海と緑に囲まれた総天然芝のスタジアムで3万人収容できます。完成したのは平成13年(2001)だそうです。「サンマリン」 と命名をしたのは長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督だそうです。宮崎県総合運動公園は 日本の都市公園百選にも選ばれています。


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こどものくに

2011年03月07日 | 旅 歴史
 宮崎市大字加江田にあるこどものくにです。
 紺碧の日向灘を眼前にのぞむ、面積17万㎡の広大な遊園地です。自然の丘や谷、川の地形に沿って750種13万5千本の亜熱帯植物が群生しています。
 バラ園、ツバキ園、ルビー園では、四季折々の花々が楽しめます。園内には、孔雀鳩、白鳥、インコ、リスなどが放し飼いになっています。
 開園したのは昭和14年(1939)と歴史があります。平成7年にはこどものくにを会場に「みやざきフラワーフェスタ」が開催されました。入園も無料になりました。


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青島亜熱帯植物園

2011年03月06日 | 旅 歴史
 宮崎市青島にある青島亜熱帯植物園です。
 青島を眼前に望む海浜に位置する植物園で昭和42年(1967)に開園しました。宮崎県のMと波状岩をあらわした大温室は幅47m、奥行22m、高さ16mで中心的な施設になっています。
  日南海岸国定公園の青島に自生する特別天然記念物「ビロウ」の群落を見ることができる植物園として有名です。
 園内にはビロウのほか県木のフェニックス、女王ヤシ、アコウ、パラボラチョ、ジャカランダ等が植栽され、南国特有のランタナや各種のハイビスカスなどが四季を通じて咲き誇っています。
 トックリヤシ、大王ヤシなどのヤシ類をはじめ、トロピカルフルーツ、洋ランなど約430種2500本を有する大温室も南国ムード満点です。世界的に有名なシンガポール植物園とは姉妹植物園になっているそうです。


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青島神社の雀榕

2011年03月05日 | 旅 歴史
 宮崎県宮崎市青島にある青島神社の御神木である雀榕(あこう)です。
 クワ科イチジク属の木で台湾や東南アジアのどの亜熱帯地方に分布する常緑高木樹です。
 「親孝行の木」といわれ一年に数度芽吹き一斉に散ることから「命の再生」の象徴でその葉を持ち帰る人も多いそうです。
 
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青島神社

2011年03月05日 | 旅 歴史
宮崎県宮崎市青島にある青島神社です。
 島の南中央にある青島神社は 日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)、后の豊玉姫命、塩椎神(塩椎老翁)を祀る神社です。
 日子穂穂手見命は山幸彦として親しまれており、「海幸彦 山幸彦」の神話はここ青島海岸が舞台なのです。
 兄「海幸彦」と弟「山幸彦」は木花神社の近くで生まれ、兄は海のものを取り、弟は山のものを取って暮らしていました。山幸彦は「たまには交代してみたい。どうか道具をかしてほしい」と海幸彦に頼んで一日漁師になってみたそうです。
  ところが兄が宝としていた釣針を魚に取られて無くしてしまいました。兄は怒り、どうしても許してくれませんでした。塩椎神に相談すると綿津見大神(海の神)の宮へ行けとアドバイスされました。
 訪ねた宮で山幸彦は、綿津見大神の娘、豊玉姫と結ばれて三年の間過ごしたそうです。無くした釣り針の事を思い出した山幸彦がしきりにため息をつくようになったので海神はたくさんの魚の中から釣り針を飲み込んだ魚を探し出し、それを清めて山幸彦に渡したそうです。
 海神は「塩盈珠」「塩乾珠」という水を操る二つの珠も合わせて授けたそうです。海幸彦に釣針を返した後、海神の教えのごとく田を作ると大量の収穫があり山幸彦は裕福になりました。それを恨んだ海幸彦が攻めてきましたが二つの珠を使って服従を誓わせたそうです。

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青島神社

2011年03月04日 | 旅 歴史
 宮崎県宮崎市青島にある青島神社です。
 島の南中央にある青島神社は 日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)、后の豊玉姫命、塩椎神(塩椎老翁)を祀る神社です。
 日子穂穂手見命は山幸彦として親しまれており、「海幸彦 山幸彦」の神話はここ青島海岸が舞台なのです。
 兄「海幸彦」と弟「山幸彦」は木花神社の近くで生まれ、兄は海のものを取り、弟は山のものを取って暮らしていました。山幸彦は「たまには交代してみたい。どうか道具をかしてほしい」と海幸彦に頼んで一日漁師になってみたそうです。
  ところが兄が宝としていた釣針を魚に取られて無くしてしまいました。兄は怒り、どうしても許してくれませんでした。塩椎神に相談すると綿津見大神(海の神)の宮へ行けとアドバイスされました。
 訪ねた宮で山幸彦は、綿津見大神の娘、豊玉姫と結ばれて三年の間過ごしたそうです。無くした釣り針の事を思い出した山幸彦がしきりにため息をつくようになったので海神はたくさんの魚の中から釣り針を飲み込んだ魚を探し出し、それを清めて山幸彦に渡したそうです。
 海神は「塩盈珠」「塩乾珠」という水を操る二つの珠も合わせて授けたそうです。海幸彦に釣針を返した後、海神の教えのごとく田を作ると大量の収穫があり山幸彦は裕福になりました。それを恨んだ海幸彦が攻めてきましたが二つの珠を使って服従を誓わせたそうです。
 

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青島

2011年03月03日 | 旅 歴史
 宮崎県宮崎市青島にある青島です。
 周囲2km弱の亜熱帯性植物が生い茂る小さな無人島です。古くは淡島・歯孕の浮島とも称されました。空前の観光ブームに湧いた時代には新婚旅行先として、宮崎の象徴としての青島がありました。
 本土からはやよい橋を歩いて渡ることができます。この小さな島には樹齢300年を超えるビロウ樹やハマカズラ等、熱帯亜熱帯植物をはじめ多くの植物があり、昭和27年、国の特別天然記念物に指定されました。
 本島の植物の中で特殊な熱帯および亜熱帯植物として「青島熱帯性植物産地」として大正10年(1921)天然記念物に指定されました。現在は「青島亜熱帯性植物群落」に改称されています。
 周囲は約一千万年から800万年前の地層の硬さの違う砂岩と泥岩による侵食により独特な形状へ変化した岩で囲まれています。
 まさしく奇岩で、その形状が洗濯板に似ている事から 「鬼の洗濯板」(鬼の洗濯岩)と呼ばれています。島からのぞむこの奇形は雄大な時間の産物なのです。
 干潮の際には沖合い100mにも及ぶ見事な景観となるそうです。島の裏側には遊歩道があり、ここをビロウ樹を眺めながら歩くことができます。


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