旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

中尊寺経蔵

2013年03月16日 | 旅 歴史
 岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関にある中尊寺の経蔵です。
 経蔵は中尊寺の境内にある間口3間、屋根は宝形、金属板葺き建物です。当時の文化を伝える数少ない建物の一つで、彩色などは剥げ落ち、平屋建てにするなどの改修がされています。
 現在の建物は平安時代の古材を使って鎌倉時代に造られたものと推察されます。創建時の経蔵は2階瓦葺と「供養願文」に記されています。建武4年(1337)の火災で上層部が焼失したようです。
 本尊は騎師文殊菩薩像です。経棚には国宝の紺紙金字一切経が残されていました。今は讃衡蔵に保管されています。経蔵は明治41年(1908)国の重要文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中尊寺大日堂

2013年03月15日 | 旅 歴史
 岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関にある中尊寺の大日堂です。
 大日堂は初代清衡が創建した三重塔跡地に正徳2年(1711)再建されたものです。三重塔の本尊であった大日如来を継承しているお堂です。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中尊寺辨慶堂

2013年03月14日 | 旅 歴史
岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関にある中尊寺の辨慶堂です。
 月見坂を登りつめた辺りに、別名愛宕堂(あたごどう)とも呼ばれている弁慶堂があります。文政9年(1826)に再建されています。
 本尊は愛宕尊で堂内には立ったまま大往生をとげたと伝えられる弁慶衣川立ち往生の等身木像を安置しています。
 源義経の木像も同じく安置されているほか、国宝に指定されている、勤行のときに鳴らす仏具「金銅剛孔雀文磬(けい)」などが所蔵されています。
 参道入口広場の弁慶松といわれる松の大木の下に高さ60cmほどの五輪塔があります。これが弁慶の墓といわれています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中尊寺薬師堂

2013年03月13日 | 旅 歴史
 岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関にある中尊寺の薬師堂です。
 薬師堂は藤原清衡が中尊寺境内に堂塔40あまり建てたうちの一つでした。別の場所に建てられ、明暦3年(1657)に現在地に建立されたそうです。ここでは月に一度火を焚いて祈祷するそうです。護摩符に願いを書いて置いて預けますとそれを燃やして祈祷してくれます。
 薬師信仰は東北地方に平安の昔から中尊寺を中心に盛んだったそうです。特に眼病の人々には盲僧信仰として広く信仰され、その効能があるのが薬師如来であり、この薬師堂でした。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中尊寺地蔵堂

2013年03月12日 | 旅 歴史
 岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関にある中尊寺の地蔵堂です。
 地蔵堂は本堂の隣にあり、後ろは北上川を眺める事ができます。おみくじや御札がたくさん飾られています。
 ききもせず束稲やまのさくら花
  よし野のほかにかかるべしとは
 国文学者の尾山篤二郎揮毫の西行の歌碑があります。


下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中尊寺不動堂

2013年03月12日 | 旅 歴史
 岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関にある中尊寺の不動堂です。
 不動堂は本堂から金色堂へ向かう途中にあります。ここでは交通安全・厄除け・家内安全・商売繁盛や、受験合格などの祈願が出来ます。
 本尊の不動明王は、宇宙の本体・大日如来の命を受け、人間の過ちを直し、苦悩を取り除いてくれる仏です。毎月の縁日・28日に護摩が焚かれます。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中尊寺本堂

2013年03月11日 | 旅 歴史
 岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関にある中尊寺の本堂です。
 中尊寺本堂は明治42年(1909)再建された建物です。中尊寺一山の中心となる建物で、ご本尊は阿弥陀如来です。早朝のお勤めはこの本堂で行われています。 
 堂内には、およそ1200年燈り続ける「不滅の法燈」が総本山の比叡山延暦寺より分火されて、護持しています。多くの場合、法要儀式もこの本堂で行われています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中尊寺

2013年03月09日 | 旅 歴史
 岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関にある中尊寺です。
 中尊寺は嘉祥3年(850)に慈覚大師が開創した天台宗の名刹で、天台宗東北大本山です。建立時は関山弘台寿院といいましたが、貞観元年(855)清和天皇より中尊寺の号を賜りました。
 長治2年(1105)堀川天皇の勅により、藤原氏の初代清衡が堂宇の再建に着手しました。21年の歳月をかけ天治3年(1126)堂塔40、僧坊300を越える大寺院を完成しました。
 隆盛を極めた中尊寺でしたが、藤原氏が滅亡後はすっかり衰え、建武4年(1337)の野火火災で山内のほとんどが焼け、金色堂と経蔵の一部を残すのみとなってしまいました。
 その後、伊達家累代の保護などにより復興を果たし、現在に至っています。金色堂はじめ讚衡蔵には3000余点の国宝・重要文化財を伝えています。東日本随一の平安美術の宝庫になっています。
 藤原清衡は、前九年の合戦によって父を失い、後三年の合戦によって妻子を失うという波乱の半生でした。
 戦争で命を失った敵・味方の人々、さらに動物から草木に至るまで等しく供養し、戦争のない平和な社会をつくりたい、という願いをこめて中尊寺を建立したのです。
 初代藤原清衡の父親は、「前九年の役」で滅亡した妻の実家である安倍氏に味方したため処刑されました。そして清衡自身も刑死の運命にあったのです。
 母親が、「前九年の役」で功労のあった清原氏へ嫁ぐことによって清衡の命は助かりました。永保3年から寛治元年(1083~87)に清原氏同士の抗争である後三年合戦がありました。
 頼義の子である源義家も加わった複雑な戦でした。最後の勝利したのは清衡と義家でした。清原の勢威を背負い、旧藤原・安倍の郎党をも引き入れ、藤原四代の基礎が築かれたのです。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鍋倉城址

2013年03月08日 | 旅 歴史
 岩手県遠野市新町にある鍋倉城址です。
 鍋倉城址は、遠野市街地の南側にある鍋倉山に築かれた中世末期の形を伝える山城です。平泉の藤原泰衡討伐に功をたてた阿曾沼広綱(あそぬまひろさと)は、源頼朝より和賀郡遠野13郷を与えられ関東から下向し、横田城(遠野市松崎町)を築きました。その後、横田城を鍋倉山に移しました。
 阿曾沼氏が家臣の謀反で滅亡すると、寛永4年(1627)、南部直義(なおよし)が八戸から遠野に国替えになり、横田城を修築して鍋倉城と改め、以後遠野南部氏1万2千5百石の居城となりました。


下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福泉寺

2013年03月07日 | 旅 歴史
 岩手県遠野市松崎町駒木7地割にある福泉寺です。
 法門山福泉寺は真言宗豊山派のお寺です。創建は大正元年(1912)で木彫として日本最大の大観音像があることで有名です。総高17mの福徳観音像は、樹齢1200年の大木の一木造で、木彫として日本最大の観音像です。
 福泉寺の境内は20万平方mあり、春には桜、秋には紅葉の名所となります。山内には岩手県内唯一の四国八十八箇所と西国三十三箇所の写し霊場があります。


下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千葉家住宅

2013年03月06日 | 旅 歴史
 岩手県遠野市綾織町上綾織1地割にある千葉家住宅です。
 千葉家住宅は200年ほど前に建てられた南部曲り家で「日本10大民家」の一つにも数え上げられています。曲り家とは江戸時代の南部地方特有の建てかたで、住居と馬屋を平面L字形に連結した農家建築です。
 見晴らしの良い小高い丘の中腹に石垣を築いて建てられています。江戸時代後期の建築で、540平方mの大型の家の中で25名の人と20頭の馬が一緒に生活していたそうです。現在も住居として使われています。
 曲り家の最盛期に建てられ、保存状態も良く、上層農民の最高級の曲り家として典型的なものといわれます。主屋、土蔵、石蔵稲荷社、大工小屋が平成19年(2007)に国の重要文化財に指定されました。


下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝承園

2013年03月05日 | 旅 歴史
 岩手県遠野市土淵町土淵にある伝承園です。
 伝承園には国の重要文化財・南部曲り家やワラ細工などの体験もできる工芸館、養蚕の神様とされるオシラサマ約1000体を祀る御蚕神堂などがあります。オシラサマは桑の木に人間や馬の顔を彫り、色とりどりの衣をまとっています。
 柳田国男に「遠野物語」を語って聞かせたという佐々木喜善の記念館などもあります。
 若い女性が飼っていた馬と恋に落ち、それを怒った父親が馬を殺してしまいます。悲しんだ娘は馬の皮とともに天に昇ってしまいました。後に蚕が残されました。これが養蚕の神様・オシラサマの伝説です。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小岩井農場

2013年03月04日 | 旅 歴史
 岩手県岩手郡雫石町丸谷地にある小岩井農場です。
 小岩井農場は日本初の西洋式近代農場です。ここを題材に賢治先生は、長編詩「小岩井農場」を書いています。
 総面積3000ha。正面に岩手山を望み、緑一色に染められた大地に牛が戯れています。小野義真、岩崎彌之助、井上勝により明治24年(1891)創業。創業者三名の頭文字から「小岩井」と命名されました。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正法寺

2013年03月03日 | 旅 歴史
 岩手県奥州市水沢区黒石町正法寺にある正法寺です。
 大梅禎拈華山円通正法寺は曹洞宗の名刹で貞和4年(1348)無底良韶(むていりょうしょう)禅師によって開かれました。奥の正法寺と呼ばれています。
 観応元年(1350) 崇光(すこう)天皇から「奥州二州僧録扶桑曹洞第三ノ本寺」「両国寺院出世道場」とする綸旨(りんじ)を得て、永平寺、総持寺と並ぶ東北地方における曹洞宗第3の本山となり、奥州2州の本山として隆盛をきわめました。
 一時衰退しますが、仙台藩4代藩主伊達綱村(つなむら)が中興しました。現在の本堂、庫裏、開山堂を改築寄進して、寺領75石を与えました。正法寺は現在でも73ケ寺の末寺を持ち、全国で25ケ所しかない僧堂があり日々厳しい修行が行われています。
 本堂は日本最大の萱葺き屋根を持ち、壮大さは東北随一といわれています。文化4年(1807)に建立された庫裏、寛文5年(1665)に建てられた正法寺最古の建物の総門とともに国の重要文化財に指定されています。
 又、正法寺の本尊である「如意輪観世音菩薩坐像」は鎌倉時代後期の寄木造りで岩手県指定文化財として1年に1度10月16日熊野大権現大祭の際に御開帳されます。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒石寺御供所兼鐘楼

2013年03月02日 | 旅 歴史
 岩手県奥州市水沢区黒石町字山内にある黒石寺御供所兼鐘楼です。
 黒石寺境内には明治16年(1883)に建てられた御供所兼鐘楼があります。1階は本尊に供える供物を準備する御供所、2階には200文字の漢文で黒石寺の由緒が刻まれている梵鐘が納められています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする