旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

清涼寺狂言堂

2018年06月14日 | 旅 歴史

 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
 清涼寺の狂言堂では重要無形民俗文化財の嵯峨大念仏狂言が演じられます。千本閻魔堂の閻魔堂狂言、壬生寺の壬生狂言とともに京都3大念仏狂言の一つに数えられています。嵯峨大念仏狂言は壬生狂言と同じく円覚上人が創始されたものといわれています。

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清涼寺薬師堂

2018年06月13日 | 旅 歴史

 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
 境内西北にある清涼寺の薬師堂は、かつては竜幡山薬師寺といい、平安時代の、弘仁9年(818)、嵯峨天皇の勅により空海が建立したといわれています。薬師如来像を安置し、疫病の平癒を祈願したそうです。当初は真言宗でしたが、後に浄土称に改宗しています。

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棲霞観跡

2018年06月12日 | 旅 歴史

 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
 棲霞観(せいかかん)は嵯峨天皇の第12皇子、左大臣・源融(とおる)(822-895)の山荘です。棲霞寺は棲霞観に建てられた阿弥陀堂を創始としています。現在、棲霞寺は阿弥陀堂にのみ名残りをとどめています。

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清涼寺鐘楼

2018年06月11日 | 旅 歴史

 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
 鐘楼にさがる梵鐘は「清凉晩鐘」「五台晨鐘」といわれ、嵯峨八景、嵯峨十景の一つに選ばれています。総高212.2mというおおきな鐘で、南北朝時代の文明16年(1484)に鋳物師・河内国堺宿院、総大工・藤原長家ら4人で鋳造されています。梵鐘は京都府の有形文化財に指定されています。

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清涼寺阿弥陀堂

2018年06月10日 | 旅 歴史

 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
 清涼寺の阿弥陀堂は、間口5間、奥行6間、入母屋造り、本瓦葺きの建物です。平安時代、この地には、棲霞寺の阿弥陀堂がありました。その後、釈迦如来像が安置され、清凉寺の阿弥陀堂となりました。現在の建物は、江戸時代末期の文久3年(1863)に再建された堂宇です。

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清涼寺の多宝塔

2018年06月09日 | 旅 歴史

 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
 清涼寺の多宝塔は元禄16年(1703)に再建された建物で、京都府の有形文化財に指定されています。下層は3間、本瓦葺き、上層は本瓦型銅瓦葺き、江戸風に尾垂木を竜頭としています。元禄13年(1700)に江戸護国寺で釈迦如来像の出開帳を行い、江戸の人々の寄進で資金を集めたそうです。

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清涼寺本堂

2018年06月08日 | 旅 歴史

 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
 清涼寺の本堂は釈迦堂とも呼ばれ、仁王門から入った広い境内の参道正面にあります。本堂は元禄14年(1701)に徳川5代将軍綱吉(つなよし)と、その母・桂昌院(けいしょういん)、大阪の豪商泉屋(後の住友)吉左衛門らの発起により再建されました。間口14間、奥行13間、単層、入母屋造り、本瓦葺きの大きな建物です。
 本堂内には、国宝の本尊・釈迦如来立像、国指定重要文化財の地蔵菩薩立像を安置しています。本堂正面には隠元筆の「栴壇瑞像(せんだんずいぞう)」の大額が架けられています。仏は栴檀の香木を刻んだ生身の仏、釈迦の生き姿をそのまま写したものという意味です。

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清涼寺山門

2018年06月07日 | 旅 歴史

 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
 清涼寺の山門は応仁の乱で五大堂とともに炎上し、江戸時代の安永6年(1776)に再建された建物です。昭和62年(1987)に京都府の有形文化財に指定されています。三間一戸、2階二重門、入母屋造り、本瓦葺きの八脚門です。総ケヤキ造りで、禅宗様、和洋の折衷様式になっています。上層に十六羅漢像を安置、初層左右に室町時代作の阿吽の金剛力士像が安置されています。

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清涼寺経蔵

2018年06月06日 | 旅 歴史

 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
 清涼寺の経蔵には釈迦が説いた法経典が収められています。輪蔵には明版一切経が納められていて、これを回すことで一切経を読んだのと同じ功徳が得られるそうです。輪蔵の正面には傅大士(ふだいし)坐像、両脇に音浄普現像、四隅に四天王像が祀られています。

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清涼寺

2018年06月05日 | 旅 歴史

 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町に清涼寺(せいりょうじ)があります。
 五台山(ごだいさん)清涼寺は大覚寺入口から西へ300mほどのところにあります。「嵯峨の釈迦堂さん」の愛称で親しまれる浄土宗のお寺です。融通念仏の道場としても知られ、浄土宗の元祖・法然上人が、24歳の時に、このお寺の釈尊像の前に7日間籠ったという由緒あるお寺です。
 清涼寺はもとは棲霞(せいか)寺の境内にあった釈迦堂でした。この地は嵯峨天皇の仙洞(嵯峨院)の地で、嵯峨天皇の第12皇子、左大臣・源融(とおる)が譲り受けていました。そして、棲霞観(せいかかん)という山荘を建てていました。
 融は源氏物語の光源氏のモデルになった人物といわれています。熱心な阿弥陀信仰者で、阿弥陀像を造立しようとしましたが亡くなり、遺族が阿弥陀三尊像を完成させました。融の一周忌の寛平8年(896)に阿弥陀堂を建立して安置し、法会を行い、棲霞寺を開いたのです。
 永観元年(983)、東大寺の僧・奝然(ちょうねん)は五台山巡礼のため宋(中国)に渡りました。優填(うてん)国王が造ったとされる栴檀(せんだん)釈迦像を拝して感激し、香木を買い求めて宋で作成し日本に持ち帰りました。奝然は愛宕山を五台山に見立て、清涼寺を創建しようとしましたが夢果たせず亡くなりました。
 その後、弟子の盛算(せいさん)が奝然の志を継ぎました。勅許を得て、棲霞寺の釈迦堂を清涼寺とし、栴檀釈迦像を安置して華厳宗の寺としました。その後、釈迦如来に対する信仰から、他宗の天台、真言、念仏宗を含め、融通念仏の大道場になり、棲霞寺よりも清凉寺の方が高名となりました。
 建久元年(1190)、火災に遭い、その後も度々被災し、応仁元年(1467)の乱では兵火を受け、釈迦堂を除く多くの堂宇が焼失しましが、その度に再建されてきています。享禄2年(1529)には正親町天皇の綸旨を受け、五代堂などの再建に着手し、慶長17年(1612)には徳川家康から97石の寺領が与えられています。
 境内には山門、本堂、聖徳太子殿、阿弥陀堂、一切経蔵、薬師堂、宝物館、弁天堂、狂言堂、鐘楼、多宝塔など多くの堂塔が建ちならんでいます。境内には、奝然上人、源融、嵯峨天皇、檀林皇后の墓などのほか豊臣秀頼公首塚などがあり、境外北側墓地には、十萬上人や遊女夕霧太夫の墓があります。

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有智子内親王墓所

2018年06月03日 | 旅 歴史

有智子内親王の墓が嵯峨野の落柿舎の隣にあります。有智子内親王は第52代・嵯峨天皇の第八皇女です。豊かな文才に恵まれた女性で、弘仁14年(823)、嵯峨天皇が斎院へ行幸した際に優れた漢詩を披露したことから、感嘆した天皇は内親王を三品に叙したそうです。
 その詩作は「経国集」などに10首ほど残されています。日本史上数少ない女性漢詩人の一人に数えられ、また初代賀茂斎王となった女性でもありました。斎王とは神社に奉仕した未婚の内親王です。41歳で崩御されましたが、斎院は400年近く続きました。

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謌僊祠

2018年06月02日 | 旅 歴史

 京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町に常寂光寺(じょうじゃくこうじ)があります。
 謌僊祠(かせんし)には鎌倉時代の歌人、藤原定家、藤原家隆の木像が安置されています。以前は仁王門の北にあったそうですが、常寂光寺が建立された時、山上に移されたそうです。平成6年(1994)に改築されています。

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時雨亭跡

2018年06月01日 | 旅 歴史

 京都府京都市右京区嵯峨小倉山小倉町に常寂光寺(じょうじゃくこうじ)があります。
 多宝塔の近くに時雨亭跡(しぐれていあと) の石碑が建てられています。藤原定家が「小倉百人一首」をこの時雨亭で編纂したといわれています。(近くの二尊院にも時雨亭跡の石碑が残されています。)

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