長野県諏訪市湯の脇の温泉寺に高島藩主諏訪家墓所があります。
諏訪家の菩提寺は頼岳寺でしたが高島城から離れていたため、慶安2年(1649)、高島藩2代藩主・諏訪忠恒(ただつね)は、新たに温泉寺を創建し菩提寺としました。
墓所には2代藩主・諏訪忠恒から、8代藩主・諏訪忠恕(ただみち)までの7代の藩主墓と、妻や子供の墓、家臣が奉納した石灯籠が建てられています。墓所は二段に分かれ、上段に藩主の墓と忠恒の御霊屋が建てられています。
諏訪家は信濃国一宮諏訪大社の大祝(おおほうり)家の家柄です。中世以降は諏訪の領主として君臨しました。戦国時代、武田信玄の謀略により諏訪家惣領家は断絶し、諏訪頼重の血が入る武田勝頼が諏訪を継ぎました。信玄の後を継ぎましたが、武田は滅亡しました。後に惣領家のいとこ・諏訪頼忠が諏訪氏を復活させました。
頼忠の長男・諏訪頼水(よりみず)は関ヶ原の戦いで功をあげ、慶長6年(1601)に諏訪の領地を復領、初代高島藩主となりました。その後、明治まで累代諏訪氏が藩主を続けました。この墓所は頼岳寺の初代藩主・諏訪頼水の墓所とともに平成29年(2017)に国の史跡に指定を受けました。
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