今日は母の長兄の祥月命日で(伯父は63年前の今日、テニヤン島で戦死した)、母は靖国神社へ出かけていった。とても優秀で優しい兄さんだったと、母から何度も聞かされている。死んだ人は残された者の記憶の中で歳をとらない。母は81歳になったが、伯父さんはいつまでも白い水兵服を着た若者のままである。
今日も蒸し暑い。飼い猫の「はる」が一階の玄関の上がり口あたりの廊下に寝そべっている。風の通りがよくて涼しい場所をよく知っている。本当は家の中で一番涼しい場所は書庫である。窓を最小限の大きさにしてあり、除湿機を一日中回しているので、湿気も少ない。でも、そこは薄暗くて、人気もない場所なので、猫のくせに(?)淋しがりやの「はる」は、何か悪さをして、「こら! はる」と叱られて、逃げ込むとき以外はあまり書庫には入らないのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/a5/6d2b014c1b06aa5af9d7d7aef1c772e8.jpg)
パソコンを使わなくてもすむ仕事は、書斎のデスクではなく、居間の食卓でする。猫と同じで人間も風の通りがよくて涼しい場所へ移動するのだ。クーラーは極力使わない。扇風機で十分しのげる。ときおりベランダに出て、空を見上げる。よく晴れた夏空だ。忙しさのピークは過ぎた。これからの一週間は本格的な夏休みへの移行期間だ。何度か大学へは出る用件はあるが、振り回されるような忙しさではない。生活時間を自分でコントロールできることが嬉しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/00/601473826c4679db63c4dd009a4de38b.jpg)
今日は日中、散歩に出なかったので、夕食の後、散歩に出る。うちではだいたい8時頃に夕食が終る。駅ビルの有隣堂は9時まで、くまざわ書店は10時まで営業しているので、腹ごなしに出かけるには都合がいい。家の前の道の上に「なつ」がいた。近づくとニャーと鳴いて腹を見せるので撫でてやる。今日はちゃんとした格好をしているからお巡りさんに職務尋問される心配はなかろう。有隣堂で以下の本を購入し、同じフロアーの「カフェ・ド・クリエ」で閉店の時刻まで読む。
『考える人』夏号
泉麻人『シェーの時代 「おそ松くん」と昭和こども社会』(文春新書)
『考える人』の特集は「小説より奇なり! 自伝、評伝、日記を読もう」。丸谷才一がインタビューの中でイギリスの伝記の特徴をこんなふうに語っている。
「イギリスの伝記がいいという一つの証拠になるのは、プルーストの伝記。イギリス人のG.D.ペインターが書いた『マルセル・プルースト』(筑摩書房)が圧倒的によくて、フランス人の書いたものはかなわないだそうです。これは清水徹さんもいっているし、岩崎力さんも訳者後記でいっています。
フランス人には書けない本だと岩崎さん評価していました。理詰めな書き方ではない。肌触りが違っていて独特のユーモアがある。節と節、つまりパラグラフとパラグラフのつながりに論理性は欠けているだけれど、そのくせ一章ごとにイメージがくっきりと立つ。語り口がうまいからだと絶賛している。
ここで挙げられた要素はみんなイギリスの長篇小説の味に近いところにあるものですね。フランス人がイギリスをペイ・ド・ロマン(長篇小説の国)といったように、長篇小説はイギリスで生まれたわけですが、イギリスの伝記は、だから長篇小説の書き方を身につけたうえで書かれたといえるでしょう。」(29頁)
「リットン・ストレイチーのせいでイギリスの伝記は大きく変容した、立派なものになったということはもちろんあるけれども、それ以前から素晴らしい作品もあったんですね。ただストレイチー以前の伝記は、むやみに褒めるというお葬式とか法事みたいな態度が幅をきかせていて、悪口をいわないというのが金科玉条だったらしい。
ヴォージニア・ウルフにいわせると、十九世紀末からイギリスの伝記は面白くなった。なぜかというと、未亡人があまり口を出さなくなったから(笑)。だからそういう世間的な風潮を利用して、ストレイチーがすぐれた伝記を書きだしたという面もあるのですしょうね。とにかく、ストレイチーのおかげで質がよくなったことと短くなったこと、この二つが特色だといわれています。」(28-29頁)
帰宅して書斎で仕事をしていたら、妻がやって来て、「赤塚不二夫が亡くなったって」と言った。10年ほど前に癌であることを公表していたが、そうか、とうとう亡くなったのか。『シェーの時代』を購入したのは虫の知らせというやつだったのかもしれない。国民的マンガといえば「サザエさん」だが、私の子ども時代(昭和30年代)を代表するマンガは、何といっても、『少年サンデー』に連載されていた「おそ松くん」である。本来は合掌するところだが、赤塚不二夫の場合は「シェー」こそがふさわしいのではないだろうか。
今日も蒸し暑い。飼い猫の「はる」が一階の玄関の上がり口あたりの廊下に寝そべっている。風の通りがよくて涼しい場所をよく知っている。本当は家の中で一番涼しい場所は書庫である。窓を最小限の大きさにしてあり、除湿機を一日中回しているので、湿気も少ない。でも、そこは薄暗くて、人気もない場所なので、猫のくせに(?)淋しがりやの「はる」は、何か悪さをして、「こら! はる」と叱られて、逃げ込むとき以外はあまり書庫には入らないのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/a5/6d2b014c1b06aa5af9d7d7aef1c772e8.jpg)
パソコンを使わなくてもすむ仕事は、書斎のデスクではなく、居間の食卓でする。猫と同じで人間も風の通りがよくて涼しい場所へ移動するのだ。クーラーは極力使わない。扇風機で十分しのげる。ときおりベランダに出て、空を見上げる。よく晴れた夏空だ。忙しさのピークは過ぎた。これからの一週間は本格的な夏休みへの移行期間だ。何度か大学へは出る用件はあるが、振り回されるような忙しさではない。生活時間を自分でコントロールできることが嬉しい。
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今日は日中、散歩に出なかったので、夕食の後、散歩に出る。うちではだいたい8時頃に夕食が終る。駅ビルの有隣堂は9時まで、くまざわ書店は10時まで営業しているので、腹ごなしに出かけるには都合がいい。家の前の道の上に「なつ」がいた。近づくとニャーと鳴いて腹を見せるので撫でてやる。今日はちゃんとした格好をしているからお巡りさんに職務尋問される心配はなかろう。有隣堂で以下の本を購入し、同じフロアーの「カフェ・ド・クリエ」で閉店の時刻まで読む。
『考える人』夏号
泉麻人『シェーの時代 「おそ松くん」と昭和こども社会』(文春新書)
『考える人』の特集は「小説より奇なり! 自伝、評伝、日記を読もう」。丸谷才一がインタビューの中でイギリスの伝記の特徴をこんなふうに語っている。
「イギリスの伝記がいいという一つの証拠になるのは、プルーストの伝記。イギリス人のG.D.ペインターが書いた『マルセル・プルースト』(筑摩書房)が圧倒的によくて、フランス人の書いたものはかなわないだそうです。これは清水徹さんもいっているし、岩崎力さんも訳者後記でいっています。
フランス人には書けない本だと岩崎さん評価していました。理詰めな書き方ではない。肌触りが違っていて独特のユーモアがある。節と節、つまりパラグラフとパラグラフのつながりに論理性は欠けているだけれど、そのくせ一章ごとにイメージがくっきりと立つ。語り口がうまいからだと絶賛している。
ここで挙げられた要素はみんなイギリスの長篇小説の味に近いところにあるものですね。フランス人がイギリスをペイ・ド・ロマン(長篇小説の国)といったように、長篇小説はイギリスで生まれたわけですが、イギリスの伝記は、だから長篇小説の書き方を身につけたうえで書かれたといえるでしょう。」(29頁)
「リットン・ストレイチーのせいでイギリスの伝記は大きく変容した、立派なものになったということはもちろんあるけれども、それ以前から素晴らしい作品もあったんですね。ただストレイチー以前の伝記は、むやみに褒めるというお葬式とか法事みたいな態度が幅をきかせていて、悪口をいわないというのが金科玉条だったらしい。
ヴォージニア・ウルフにいわせると、十九世紀末からイギリスの伝記は面白くなった。なぜかというと、未亡人があまり口を出さなくなったから(笑)。だからそういう世間的な風潮を利用して、ストレイチーがすぐれた伝記を書きだしたという面もあるのですしょうね。とにかく、ストレイチーのおかげで質がよくなったことと短くなったこと、この二つが特色だといわれています。」(28-29頁)
帰宅して書斎で仕事をしていたら、妻がやって来て、「赤塚不二夫が亡くなったって」と言った。10年ほど前に癌であることを公表していたが、そうか、とうとう亡くなったのか。『シェーの時代』を購入したのは虫の知らせというやつだったのかもしれない。国民的マンガといえば「サザエさん」だが、私の子ども時代(昭和30年代)を代表するマンガは、何といっても、『少年サンデー』に連載されていた「おそ松くん」である。本来は合掌するところだが、赤塚不二夫の場合は「シェー」こそがふさわしいのではないだろうか。
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