9時、起床。今日は曇り日だ。夕方から雨の予報も出ているが、昼から散歩に出る。
恵比寿の都立写真美術館に行くつもりだが、その前に、池上で下車して食事(ブランチ)をとることにする。昨日は下丸子で「喜楽亭」を発見したが、今日は馴染みの町の馴染みの店で食事をしよう。冒険と習慣、どちらも大切だ。冒険は成功(失敗)をもたらし、習慣は幸福(不幸)をもたらすから。
池上駅の構内踏み切り(東急線では唯一ここだけ残っている)
「薫風」の前を通ると、本日のランチはスープカレーと書かれていたので、迷わずそれに決める。 注文をすませて本を読んでいると、隣のテーブルに座った年配の女性が、「肉が食べたい気分なの。ステーキとかないの?」と店の人に尋ねている。残念ながらここは牛肉の料理はやっていない。上州産の麦豚(麦で育てられた豚)が看板メニューである。「豚肉の生姜焼きはいかがでしょうか?」と店の人が答えると、「生姜焼きねぇ・・・」と女性は不服そうである。生姜焼きなんて家庭料理だと思っているに違いない。だまされたと思って食べてみることだ。結局、女性は生姜焼きを注文した。私がスープカレーを食べ終わる頃、女性が生姜焼きを食べ始めた。「おっ」という表情になるのがわかった。店の人が皿を下げにきたとき、「お肉を召し上がった気分になられたでしょうか?」と尋ねると、「家で作るのとは全然違うわね・・・」とその女性は満足そうに答えた。
スープカレー(サラダ、ライス、コーヒー付き)
「薫風」を出て、「甘味あらい」へ。入口の引き戸は開いたままたになっている。先客が7名ほどいたが、カウンター席は3席空いていた。席に着いてメニューを開くと、季節限定メニューが変わっていることに気がついた。桜から苺へ。「本日から変わりました」とご主人。そうか、来てよかった。新メニューである苺クリームぜんざいを注文をして日誌を付けていると、隣の席の若いカップルの会話が自然と耳に入ってくる。同年齢のようだが、女性の方の話は面白く、男性の方の話は面白くない。「おまえの話はつまらん」と大滝秀治の口調で注意してやろうかと思うほどつまらない。話の内容そのものもだが、話し方が下手なのだ。これでは仮に面白い(はずの)話であっても面白くなくなってしまう。これは彼の人柄の問題というよりも、精神年齢の問題なのではないかと思われる。つまり、彼女は大人で、彼は子供なのだ。しかし、ここが男女の仲の不思議なところで、こんな二人でも相性はよいのだろう。「おまえの話はつまらん。だから、彼女の話の聞き役に回っていることだ」と大滝秀治の口調で彼にアドバイスをした(もちろん心の中で)。やがて目の前に苺クリームぜんざいが運ばれてきた。美しい。そして、思ったとおり、美味しかった。会計のとき、奥さんに、「この季節限定メニューはいつ頃まで続くのでしょうか」と尋ねたところ、「次は氷になりますから、6月あたりまでです。でも、苺が入ってこなくなったら終ります」とのことだった。少なくとも5月中は大丈夫なわけだ。「苺ぱふぇも召し上がってみてください。幻のメニューと言われています」と奥さんは自分で言ってクスリと笑った。心得ました。ごちそうさまでした。
季節限定 苺クリームぜんざい(ぜんざいは冷やし)
池上界隈
池上線の終点の五反田で山の手線に乗り換える。連絡通路は年季が入っている。五反田駅は池上線も山の手線も高架で、眺めがいい。
五反田駅
写真美術館の本日の展示会は3つ。そのうちの2つ、「ベッティナ・ランス写真展 女神たちの楽園」と「芸術写真の精華 日本のピクトリアリズム 珠玉の名品展」を見物した。
「ベッティナ・ランス写真展 女神たちの楽園」は指折りの美女たち(有名な女優やファッションモデル)の写真が60点ほど展示されている。とても魅力的な表情とポーズで。それは商品広告用の写真でもなく、かといって素顔の彼女のたちのスナップショットでもない。そこには明確な演技性が見て取れる。写真家の要求とモデルの欲求がピッタリと合致した演技性だ。だから写真にはモデルとなった女性たちの本性が表れているように見える。素顔の中に本性があるのではない。少なくとも素顔の中に表れるのは本性の一部でしかない。なぜなら本性というものは何らかの演技を通してしか十分には表出できないものであり、素顔というのは演技の一種でしかないからだ。本性とは、彼女たちの内奥に外部とは無関係に存在するものでなく、期待される演技という他者からの要求に対する彼女たちの反応の中に存在するものである。私が強く魅かれた作品のモデルを10人あげると(順不同)、シャーロット・ランブリング、ソフィ・マルソー、クレア・スタンスフィールド、トレイシー・ローズ、クリステン・マクネナミー、モニカ・ベルッチ、リヴ・タイラー、シンディ・クロフォード、ミラグロス・シュモール、アーシア・アルジェントである。若い女性もいれば年配の女性もいる。裸の女性もいれば、ドレスの女性もいる。気品ある女性もいれば、官能的な女性もいる。女性のさまざまな本性があり、そのどれもが魅力的である。客は女性が多かった。女性の写真家が撮った女性の写真を女性たちはどういうふうに見ているのだろうか。
「芸術写真の精華 日本のピクトリアリズム 珠玉の名品展」は大して期待せずに見物したのだが、面白かった。実に興味深かった。大して期待していなかったのは、写真の写真らしさ捨てて絵画を模倣することで写真を芸術らしめようとするピクトリアリズム(絵画主義)の考え方に共感できないからだ。実際、多くの写真家が共感しなかったためにピクトリアリズムは歴史の中に埋没していった。一方、面白かったのは、写真を絵画化する技法の多様さと、その水準の高さが半端ではなかったからだ。正直、すごいと思った。感心してしまった。感心することと感動することは、同じではないが、非常に感心すればそれは感動しているのと近似である。けれど、二度、会場を回って(一度目は全部の作品を、二度目はとくに気に入った作品だけを眺めて)、思ったのは、ピクトリアリズムの傑作は絵画にまさるとも劣らないものであるけれども、写真としてみれば、いままで見たこともない写真だが、絵画としてみればどこかで見たことのある絵画、即座に、「印象派の作品を思わせる」とか、「山水画を思わせると」とか、「レンブラントの肖像画を思わせる」とか、「シュールリアリズムの作品を思わせる」とか、「谷内六郎の童画を思わせる」とか、つまり、その作品と類似した作品が頭に浮かぶということだ。これは一流の芸術たらんとするものにとってやはり致命的なことであると思う。模倣から始まって独創に至るというのが芸術の王道だけれども、ピクトリアリズムは魅力的な路地裏にわれわれを誘っているように思う。
1Fのショップで2つの展示会のカタログを購入し、カフェ「シャンブル・クレール」で一服する。アップルパイとミルクティー(アールグレイ)。
最後にもう一度、「ベッティナ・ランス写真展 女神たちの楽園」を足早に観て回ってから、美術館を出る。雨が降り始めていた。
恵比寿駅(ガーデンプレイス口)前の横断歩道
本日の散歩の経費は以下の通り。
交通費 590円
食事代 「薫風」 スープカレー 1000円
「甘味あらい」 苺クリームぜんざい 750円
「シャンブルクレール」 アップルパイ 550円、 ミルクティー 600円
写真美術館チケット 640円(友の会会員割引)×2枚=1280円
書籍代 『ベッティナ・ランス写真展』カタログ 1800円
『芸術写真の精華 日本のピクトリアリズム 珠玉の名品展』カタログ 2500円
合計 9070円