温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

おなじみ池上の駅弁、そして玉里麺

2015年09月20日 | 台湾
※今回の記事に温泉は登場しません。あしからず。

●池上駅弁

台20線「南横公路」を東進して山を下り、再び花東縱谷の平野へ戻ってきました。池上や関山など、卑南渓の沖積平野は台湾随一のハイクオリティなお米を生産する穀倉地帯。川の両岸に麗しい水田が広がっており、車を降りて田んぼを眺めていたら、稲の青い香りが風の足跡に揺られてこちらへ流れてきました。


 

せっかく池上まで来ているのですから、駅弁で有名な池上駅へ立ち寄ることにしました。駅前に置かれたマスコットは、右手に弁当を掲げ、首から立ち売りの箱をぶら下げていますね。


 
駅構内は台鉄の他の田舎駅とほぼ同様の造りで、のんびりとした雰囲気です。窓口の上に掲示されている観光地図には、自転車に乗った米粒くんが満面の笑みを浮かべていました。


 
台東線って昨年(2014年)に電化されていたんですね。工事をしていたことは知っていましたが、ここ1~2年の台湾旅行ではレンタカーを活用するようになり、2012年を最後にしばらく台東線に乗っていなかったので、花蓮以南は非電化という固定概念ができあがっていた私にとって、池上駅にEMU500型電車の区間車が停車している光景は、俄に信じがたいものがありました。まだ南廻線は非電化ですから、そちらへ直通する自強号はディーゼル車ですが、いずれは南廻線も電化され、台湾一周が電化されるんでしょう。


 
池上駅へ立ち寄ったからには、名物の池上弁当を食べないわけにはいきません。駅前を中心に池上の街にはお弁当屋さんがたくさん営業していますが、駅のホームで立ち売りしているのは駅前の「全美行」だけ(地図)。鉄っちゃんの端くれの一人として、ここは敢えて正統派である「全美行」のお弁当をいただくことにしました。池上の駅弁は今まで何度も食べていますが、お店に入るのは今回が初めてです。


 
お店で購入したお弁当をその場で食べられるよう、店内には食事ができるスペースが設けられているほか、池上米の販売コーナーもありました。値段をメモするのを忘れてしまったのですが、画像に写っている1.5kgの小さなパッケージですら220元(約800円)という高価ですから、大きな袋はいくらすることやら。日本よりお米がはるかに安い台湾でも、ブランド米は話が別のようです。


 
このノスタルジックなパッケージは何度見ても魅力的です。このお店では、まずレジで代金(70元)を支払い、引き換えにもらうチケットを店奥の専用カウンターへ持ってゆくことにより、できたてホカホカのお弁当を入手することができます。店内購入者だけの特典というべきか、店内にはセルフで紙カップによそうスープが用意されていましたのでこれも入手し、旅情を高めるために敢えて店内では食べず、わざわざ駅の待合室まで移動してから、ベンチに座って包みを開けました。
台湾の駅弁はどこでも大同小異で、白米の上にスペアリブか叉焼、煮玉子、少々の青菜、漬物などが並べられており、池上の駅弁もほぼ同様なのですが、他の駅より具が若干多く、そしてどの駅の弁当よりもお米が美味い。あっという間に平らげちゃいました。


●池上飯包文化故事館
 
食後にコーヒーが飲みたくなったので、駅前通りを真っ直ぐに進んだ先の角にあるファミマに入ったところ、その目の前に鉄道車両が置かれている博物館らしき建物を発見。ファミマから出て看板をよく見てみたら「池上飯包文化故事館」と書かれているではありませんか。これって私が十年ほど前にガイドブックで存在を知り、一度入ってみたかったものの訪問機会を逃していた、池上駅弁の博物館ではないか。まだこの晩の宿を決めておらず、もう日が暮れかかっていたので、本当は先を急ぎたかったのですが、せっかくですのでここにも立ち寄ってみることにしました(地図)。


 
駅を模した園内には青い車体の客車が1両保存展示されており、車内に入ることができました。1982年に改軌が完成するまで、台東線は台鉄の他路線より線路幅が狭いナローゲージで運行されていたわけですが(台鉄の線路幅は日本のJR在来線と同じ1067mmですが、ナローゲージは762mmです)、その狭軌を走っていた車両ですから車内も狭く、クロスシートは車両の片側にしか設置されていなかったんですね。この狭苦しい車両で長時間移動するのは、かなりの苦行だったんだろうなぁ…。ナローゲージだった台東線はいまや電化され、韋駄天の「プユマ号」まで走るようになったんですから、感慨深いものです。


 
屋外のテラスにも列車のシートが配置されており、「増産報国」なんてスローガンが飾られて、レトロな雰囲気です。ナローゲージの車両が現役だった頃の情景を再現しようとしているのかな。


 
 
博物館は入場無料。展示車両を嬉々として見学していた私の脇を、数組の家族連れが続いて入館していたので、それにつられて私も入場することにしました。
1階の半分は池上名物のお弁当をいただくお食事処となっており、ちょうど夕食時だったため、たくさんのお客さんで大賑わいでした。家族揃ってのディナーなのに折り詰めのお弁当をつつき合うとは、私の個人的な感覚では侘びしく思えたのですが、この場所を訪れてレトロな雰囲気に包まれながら、例え小さくささやかであっても当地の名物をいただく、という一連の行為自体に観光としての意義があるのですから、よそ者の私が疑義を挟むなんて無粋だと反省しつつ、かく言う自分だってさっきお弁当を食べたばかりであり、既にお腹は満たされていて、更にもうひとつ弁当を食べられる余裕は無かったので、ここでは見学するだけに留めました。フロアの残り半分は物販コーナーで、名産のお米の他、駄菓子類もたくさん並べられていました。館内はレトロ調の装飾で統一されており、昔日の台湾を思い起こさせる広告看板やイラストで彩られていたのですが、なぜか「京都特産」や「サッポロビール」など日本語表記も見られ、しかも戦前の日本統治時代ではなく、戦後の高度経済成長期の日本をイメージするようなものが目立っていました。平成に入ってからの日本の商業施設でもよく見られる、新横浜のラーメン博物館みたいな虚像のレトロがコンセプトなのかもしれません。


 
 
観光客で大盛況の1階とは打って変わって、2階の大部分を占める展示コーナーは誰一人おらず、「もう閉館時間を過ぎているのか」と足を踏み入れることを躊躇してしまうほど、ガランと静まり返っていました。皆さん食べることに関心があっても、その歴史的変遷にはあまり興味がないのかな。
展示コーナーで解説されているテーマは、池上駅弁の歴史、そして米作りの変遷の2つ。まずは池上駅弁の歴史から見てゆくことに。
昭和10年に駅ホームで売られていた2つ入りのサツマイモパイが池上駅弁の前身。その後、竹の皮に包まれたおにぎりとおかずのパッケージが売られるようになり、1960年代頃から今のような折り詰めへと変化し、中身の具も数度のリニューアルを経て現在に至っているようです。


 
 
池上駅弁を有名たらしめているのは、当地名産のお米の美味しさであります。このため展示スペースの半分以上はお米のために割かれており、当地でこれまで栽培されてきたお米の種類や歴史に関する解説の他、脱穀機など農機具が展示されていました。
その解説によりますと、かつて池上では原住民や中華系の住民が狩猟・漁業・農耕で生業を立てており、稲作に関しては台湾在来種のインディカ米が栽培されていたのですが、日本の統治がはじまって山形県からジャポニカ米が持ち込まれると、当地の自然環境や品種改良などによって高品質のお米が生産されるようになり、池上産のお米は昭和天皇へ献上されるほどになったとか。戦前に日本の磯永吉が中心となって品種改良された台湾のお米は「蓬莱米」と称され、台湾の水田耕作に一大変革をもたらしたわけですが、戦後は更に品種改良が進み、現在では「蓬莱米」と異なる別品種のうるち米が生産されているんだそうです。

日本統治時代とも密接に関わる興味深い展示内容でしたので、一つ一つをじっくり見学したかったのですが、私はこの日のうちに花蓮に近い場所へできるだけ北上しておきたかったので、残念ですが見学を足早に済ませて、後ろ髪を引かれる想いで池上を出発することにしました。


●玉里麺
 
池上を発つとすっかり日が暮れてしまい、あてもなく真っ暗な台9線を北上してゆくうち、玉里の街にさしかかったので、池上に続いてこの街にも立ち寄ることにしました。と言うのも、さきほど池上で駅弁を食べましたが、それだけではちょっと物足りなかったので、適当な腹の足しが欲しかったのです。行き当たりばったりですから、事前に美味しい店に関して何らの情報も得ていません。


 
街の中心部に行けば何かしらあるだろうという漠然とした発想を抱きながら、光復路と中山路がクロスするロータリー付近をウロウロしていたところ、客がそこそこ入っている黄色い看板の食堂を見つけたので、地元の人が食っているなら悪くはないだろうと判断し、この店へ入ってみることにしました。
ここで注文したのは2品。どうしても青物を摂取したかったので空芯菜炒めをひとつ。もうひとつは玉里麺なるものです。スープ無しとスープありの2種類があり、この時はスープありを注文。台湾の屋台でよく見かける切仔麺に似ており、食べ始めはやや細めのモチモチ麺の食感が良かったのですが、早々に麺が伸びはじめ、なんだかイマイチな感じに…。地元の地名を冠しているのだから、何かしら特徴のある料理かと思いきや、可もなく不可もなく、これと言った印象が残らかったのが残念です。この玉里麺が玉里の名物であることを私が知ったのは後日のことで、玉里の街なかには人気の有名店が数軒あり、有名店の玉里麺の画像をネットで見たら、私が食べたものと様子が異なっていたので、どうやら今回は選択を誤ったようです。やはり何事も事前のリサーチが大切ですね。


 
私が座ったテーブルの隣では、お店の小さな女の子がインコを手懐けており、女の子の手の先や頭の上などへ、指示通りにインコが飛んでは止まることを繰り返していたのですが、状況から察するに指示の半分ほどは伝わっていないらしく、言葉こそわかりませんが、まるで漫才のように女の子がツッコミを繰り返すコミカルなやりとりが面白く、味よりもこちらの方がはるかに強く記憶に残ったので、声をかけて写真を撮らせてもらいました。有名店ではこんな家庭的でハートフルな光景を目にできませんから、ある意味でこの店に入ってよかったのも。

玉里麺を食べ終えたのは夜8時。ここに至ってもまだ、この晩の宿を決めていません。
この日は週末。さて、どうしましょう…。

次回記事に続く
.
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする