l※今回の記事に温泉は登場しません。あしからず。
日本の国道最高地点は群馬長野県境にある標高2172mの国道292号線・渋峠。自動車で到達できる一般道の最高地点は山梨長野県境の大弛峠で標高2360m。一般車が通行不可な道路を含めると、岐阜長野県境にある乗鞍スカイラインの畳平で標高2702mです。
国内でドライブする場合はどう足搔いてもそれ以上の高さへ自動車で行くことはできないわけですが、小さな日本の国土よりはるかに小さな台湾では、畳平より500m以上も高い標高3275mまで一般車で登ることができちゃいます。日本で不可能なことを体験するのは海外旅行の醍醐味ですよね。そこで今回は台湾国道最高地点である「武嶺」をレンタカーで越えて、花蓮から台中へ台湾を東西に横断することにしました。
前回記事で取り上げた安通温泉の「玉温泉」をチェックアウトした後は、台9線をひたすら北上し、花蓮の北部にある新城という街で台9線から分かれて、台8線「中横公路」へと入ります。分岐地点の標識には「太魯閣」「天祥」「梨山」の地名が並んでおり、この道が中央山脈へ真っ直ぐ続いていることを示していました。険しい山越えのルートですから開通状況が気になりますが、標識の左側に取り付けられている電光掲示板には「山岳エリア内ではヘッドライトを点灯し、落石や土砂崩れに気をつけて慎重に運転してください」とのメッセージが表示され、特に通行止めなどの情報は無いので、問題なく通行できそうです。
ここからは各地点の通過時間・標高・省道のキロ程を画像のキャプションに織り交ぜながら、記述を進めて参ります。
【11:35 太魯閣牌楼(台8線187.5km地点)】(地図)
花蓮から中央山脈を越えて台湾を東西に横断する省道台8線は「中横公路」(東西横貫公路)と称しており、花蓮県側では台湾屈指の名勝である太魯閣峡谷を通過します。つまり「中横公路」のスタート地点は太魯閣峡谷(太魯閣国家公園)の入口でもあるわけですね。この入口にはいかにも中華風の楼門が立っており、観光客がこぞって記念撮影をしていました。
この楼門を潜って山岳ドライブいざスタート。
太魯閣峡谷エリア内に入ると、早くも眼前に峻険な景色が現れ、ものすごい高低差がある峡谷の底を道路が奥へ奥へと伸びています。ところどころで大規模な土砂崩れの跡が見られ、もし走行中に呑み込まれたらどうしようという恐怖感がこみ上げるのですが、そんな心配がバカバカしくなるほど「中横公路」は交通量が多く、危なっかしい箇所なんて気にしないと言わんばかりに、一般車や大型観光バスがビュンビュン行き交っていました。
【11:50~55 燕子口の吊り橋(台8線179km地点)】
深く刻まれた峡谷の中を走っていると、両岸の断崖を結ぶ吊り橋が目に入ってきました。ただアクセルを踏んで走行するだけでは芸がないので、ちょっとここで小休止することに。
この場所は燕子口と言い、断崖の表面にあく無数の小穴にイワツバメが営巣するという言い伝えが地名の由来なんだとか。見るからにスリリングなこの吊り橋を往復してみたかったのですが、辺りを散策する団体客は危険防止のためヘルメットを被っており、また、遊歩道の工事の関係なのかこの時は橋の入場に許可が必要だったので、残念ながら省道の歩道から眺めるだけに留めました。
車に戻ってドライブ再開。断崖を削って切り拓かれた道ゆえ、山の岩盤が頭上をオーバーハングしており、大型の観光バスは天井スレスレで走行しています。この日は週末だったので交通量が多く、観光バスもひっきりなしに往来していました。
高低差の有る断崖の横っ腹を削って造られた道といえば、個人的には富山県黒部峡谷の水平歩道を思い起こさずにはいられませんが、道としての規模は比較になりませんね。断崖絶壁が続く荒々しい景色は聞きしに勝る迫力で、ドライブするだけでもその景観に圧倒されました。台湾の道路ってスゲーなぁ。
当然ながらこの道路の開削には尋常ではない労苦や犠牲が払われたわけですが、中横公路の難工事で大きな貢献を果たしたのが、大陸から逃げてきた国府軍(国民党軍)の退役軍人たちです。広大な大陸で戦うための兵士達が九州ほどの大きさしかない台湾へ一斉に雪崩れ込んできたら、いくら共産党と対峙しなきゃいけないとしても軍事力として余剰であり、しかも退役後の軍人さんを支えるための社会的負担も膨大になってしまいます。もちろん何もしないでプラプラ遊ばせておくわけにはいきません。そこでこの中横公路の建設に際し、退役軍人を労働力として大量投入したんですね。日本で言えば明治期の北海道における屯田兵みたいなものかな。
今回は太魯閣峡谷を車で通り過ぎただけですが、いずれは時間をかけてゆっくり観光したいものです。
【12:10~33 天祥(標高485m・台8線169.7km地点)】(地図)
中横公路のスタート地点から45分(約18km)で、太魯閣峡谷の観光拠点である天祥にたどり着きました。縁起の良い地名ですね。ここにはバスターミナル他、数軒の食堂や宿泊施設、そして広い無料駐車場があり、到着時はランチタイムだけあって観光客で大変賑わっていました。とりわけ大陸からの団体客が圧倒的な存在感を放っていましたが、これは台湾の観光地ならばどこでも同様ですね。
ちょうどお腹が空いたので適当に食事を摂りたかったですが、どの食堂も混雑していたので、手早く入手できそうなテイクアウト用の炒米粉を購入。付近のベンチに座って、ぬるくベタっとしたその米粉を胃袋へ掻っ込みました。観光地の飯がいまいちなのは万国共通…。
【12:35 標高500m地点】
山越えのルートはここから先が正念場で長時間を要しますから、天祥では軽食を済ませただけで、さっさと出発しました。花蓮方面からやってくる観光客の多くは天祥で引き返すらしく、天祥を過ぎると通行量がガクンと減ります。ここから先の路傍には、500m毎に標高を示す標識が建植されており、天祥を出発して間もなく標高500m地点を通過しました。この標識によれば1000m地点は13km先、1500m地点は24km先とのこと。3275m地点はまだまだ先…。
その2へ続く。
日本の国道最高地点は群馬長野県境にある標高2172mの国道292号線・渋峠。自動車で到達できる一般道の最高地点は山梨長野県境の大弛峠で標高2360m。一般車が通行不可な道路を含めると、岐阜長野県境にある乗鞍スカイラインの畳平で標高2702mです。
国内でドライブする場合はどう足搔いてもそれ以上の高さへ自動車で行くことはできないわけですが、小さな日本の国土よりはるかに小さな台湾では、畳平より500m以上も高い標高3275mまで一般車で登ることができちゃいます。日本で不可能なことを体験するのは海外旅行の醍醐味ですよね。そこで今回は台湾国道最高地点である「武嶺」をレンタカーで越えて、花蓮から台中へ台湾を東西に横断することにしました。
前回記事で取り上げた安通温泉の「玉温泉」をチェックアウトした後は、台9線をひたすら北上し、花蓮の北部にある新城という街で台9線から分かれて、台8線「中横公路」へと入ります。分岐地点の標識には「太魯閣」「天祥」「梨山」の地名が並んでおり、この道が中央山脈へ真っ直ぐ続いていることを示していました。険しい山越えのルートですから開通状況が気になりますが、標識の左側に取り付けられている電光掲示板には「山岳エリア内ではヘッドライトを点灯し、落石や土砂崩れに気をつけて慎重に運転してください」とのメッセージが表示され、特に通行止めなどの情報は無いので、問題なく通行できそうです。
ここからは各地点の通過時間・標高・省道のキロ程を画像のキャプションに織り交ぜながら、記述を進めて参ります。
【11:35 太魯閣牌楼(台8線187.5km地点)】(地図)
花蓮から中央山脈を越えて台湾を東西に横断する省道台8線は「中横公路」(東西横貫公路)と称しており、花蓮県側では台湾屈指の名勝である太魯閣峡谷を通過します。つまり「中横公路」のスタート地点は太魯閣峡谷(太魯閣国家公園)の入口でもあるわけですね。この入口にはいかにも中華風の楼門が立っており、観光客がこぞって記念撮影をしていました。
この楼門を潜って山岳ドライブいざスタート。
太魯閣峡谷エリア内に入ると、早くも眼前に峻険な景色が現れ、ものすごい高低差がある峡谷の底を道路が奥へ奥へと伸びています。ところどころで大規模な土砂崩れの跡が見られ、もし走行中に呑み込まれたらどうしようという恐怖感がこみ上げるのですが、そんな心配がバカバカしくなるほど「中横公路」は交通量が多く、危なっかしい箇所なんて気にしないと言わんばかりに、一般車や大型観光バスがビュンビュン行き交っていました。
【11:50~55 燕子口の吊り橋(台8線179km地点)】
深く刻まれた峡谷の中を走っていると、両岸の断崖を結ぶ吊り橋が目に入ってきました。ただアクセルを踏んで走行するだけでは芸がないので、ちょっとここで小休止することに。
この場所は燕子口と言い、断崖の表面にあく無数の小穴にイワツバメが営巣するという言い伝えが地名の由来なんだとか。見るからにスリリングなこの吊り橋を往復してみたかったのですが、辺りを散策する団体客は危険防止のためヘルメットを被っており、また、遊歩道の工事の関係なのかこの時は橋の入場に許可が必要だったので、残念ながら省道の歩道から眺めるだけに留めました。
車に戻ってドライブ再開。断崖を削って切り拓かれた道ゆえ、山の岩盤が頭上をオーバーハングしており、大型の観光バスは天井スレスレで走行しています。この日は週末だったので交通量が多く、観光バスもひっきりなしに往来していました。
高低差の有る断崖の横っ腹を削って造られた道といえば、個人的には富山県黒部峡谷の水平歩道を思い起こさずにはいられませんが、道としての規模は比較になりませんね。断崖絶壁が続く荒々しい景色は聞きしに勝る迫力で、ドライブするだけでもその景観に圧倒されました。台湾の道路ってスゲーなぁ。
当然ながらこの道路の開削には尋常ではない労苦や犠牲が払われたわけですが、中横公路の難工事で大きな貢献を果たしたのが、大陸から逃げてきた国府軍(国民党軍)の退役軍人たちです。広大な大陸で戦うための兵士達が九州ほどの大きさしかない台湾へ一斉に雪崩れ込んできたら、いくら共産党と対峙しなきゃいけないとしても軍事力として余剰であり、しかも退役後の軍人さんを支えるための社会的負担も膨大になってしまいます。もちろん何もしないでプラプラ遊ばせておくわけにはいきません。そこでこの中横公路の建設に際し、退役軍人を労働力として大量投入したんですね。日本で言えば明治期の北海道における屯田兵みたいなものかな。
今回は太魯閣峡谷を車で通り過ぎただけですが、いずれは時間をかけてゆっくり観光したいものです。
【12:10~33 天祥(標高485m・台8線169.7km地点)】(地図)
中横公路のスタート地点から45分(約18km)で、太魯閣峡谷の観光拠点である天祥にたどり着きました。縁起の良い地名ですね。ここにはバスターミナル他、数軒の食堂や宿泊施設、そして広い無料駐車場があり、到着時はランチタイムだけあって観光客で大変賑わっていました。とりわけ大陸からの団体客が圧倒的な存在感を放っていましたが、これは台湾の観光地ならばどこでも同様ですね。
ちょうどお腹が空いたので適当に食事を摂りたかったですが、どの食堂も混雑していたので、手早く入手できそうなテイクアウト用の炒米粉を購入。付近のベンチに座って、ぬるくベタっとしたその米粉を胃袋へ掻っ込みました。観光地の飯がいまいちなのは万国共通…。
【12:35 標高500m地点】
山越えのルートはここから先が正念場で長時間を要しますから、天祥では軽食を済ませただけで、さっさと出発しました。花蓮方面からやってくる観光客の多くは天祥で引き返すらしく、天祥を過ぎると通行量がガクンと減ります。ここから先の路傍には、500m毎に標高を示す標識が建植されており、天祥を出発して間もなく標高500m地点を通過しました。この標識によれば1000m地点は13km先、1500m地点は24km先とのこと。3275m地点はまだまだ先…。
その2へ続く。