温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

金門島旅行 その2 翟山坑道(地底の水路要塞)

2015年09月28日 | 台湾
前回記事の続きです。

今回記事の行動範囲は以下の地図で示した通りです。


 
金門空港からタクシーでこの日の宿がある島南西部の珠山集落へと向かい、宿に荷物を下ろしてから、日没まで周辺を散策することにしました。なお珠山の宿はとっても素敵でしたので、後日改めてご紹介させていただきます
路傍で草をはむ牛を眺めながら、静かでのどかな道を歩いていると・・・


 
 
藪に隠れるように佇む背の低いコンクリ躯体が目に入ってきました。脇に立っている看板には「青山排戦門 射撃場」と書かれています。その見た目と名前から推測するに、トーチカのようなものでしょう。その傍には塹壕のようなものもありました。のどかな景色の中にいきなり現れたので驚きましたが、さすがつい最近まで国共対立の最前線だっただけあり、島中この手の施設だらけなので、島を巡っているとやがて感覚が麻痺し、きな臭い施設を見ても何とも思わなくなるのが不思議です。


 
珠山集落から歩き始めて20分ほどで、戦車が静態保存されている広い駐車場に行き当たりました。金門島の有名観光地であり、最前線だった当地の象徴でもある「翟山坑道」のエントランスです。
・翟山坑道 8:30~17:00 入園無料


 
構内は公園としてきれいに整備されていますが、そもそもここは防衛上の重要拠点だったため、そのことを伝えるべく小型の上陸艇や高射砲などが展示されていました。どんな意味で重要だったのかは後ほど。


 
坑道という名前の通り、ここではトンネルの内部に入って見学します。坑口にはヘルメットが用意されており、入場者はこれを被ることになっているらしいのですが、実際に着用している客は皆無でしたので、面倒くさがり屋の私もかぶりませんでした。


 
坑口には大陸反抗のためのスローガンがビッシリ。「毋忘在莒」のために肝要な精神として、堅忍不抜、団結奮門、研究発展、以寡撃衆、主動攻撃、防諜欺敵、軍民合作という七箇条が列挙されていました。「毋忘在莒」(莒に在ることを忘るるなかれ)という語句は、金門島のみならず台湾でも国民党イデオロギーの名残がある施設でしばしば見られますが、これは紀元前の中国戦国時代、燕に滅亡ギリギリのところまで追い詰められた斉という国が、現在の山東省の莒という場所で耐え忍びながら何とか体制を立て直し、知将の田単によって形勢を逆転させて、見事領地の奪還に成功したという故事に基づいて、国民党版レコンキスタを実現させるために蒋介石が唱えたスローガンであります。余談ですが「毋忘在莒」と「光復大陸」から一文字ずつ採った名前が、台鉄の「莒光号」なんですね。


 
ヘルメット置き場の前にも「領袖国家」「責任栄誉」なんて言葉が躍っていました。その精神を胸にしてミッションに取り掛かれ!ということなんでしょうね。日々をのんべんだらりと生活している私には縁遠い言葉だこと…。


 
先行する団体客の賑やかな歓声が響く中、湿気たっぷりの坑道の階段を下りてゆきます。階段の途中には「戦備貯水池」と称するコンクリの水槽がありました。


 
階段を下りきると、左右に幅の広いトンネル水路が伸びており、坑内はレインボーカラーのLEDでライティングされていました。
この坑道が掘られたのは、大陸から無数の砲弾が雨のように降ってきた金門砲戦(1958年)の後の民国52年(1963年)。中共が再び猛攻を仕掛けてくることを警戒した国民党が、大陸側から砲撃されても船艇を守れるよう、硬い花崗岩の岩盤を掘削してつくった地底の要塞なのでした。それゆえ大陸とは反対側にあたる島の南西部に設けられたわけですね。完成までに3年の年月を要したそうですが、当時は優れた掘削機も無かったでしょうから、鑿をトンカン叩いて少しずつ削っていったのかもしれません。坑道を真上(地図上)から見るとアルファベットのVを横にしたような形をしており、海側の出口は2つあります。水路としての全長は357mで、幅11.5m、高さ8m。いくら戦時体制下とはいえ、硬い岩盤を掘り進めてこんな大きな空間をつくってしまう、危機感を抱いた人間のパワーに圧倒されます。


 

明るい坑口の向こうは海ですから、仕切りの塀があるものの、ザバンザバンと打ち寄せる小波の音が坑内に響いています。この地下要塞は結果的に戦闘で使われること無いまま、民国87年(1998年)に観光地として開放され今に至っているんだそうです。
先行していた団体客は手すりにもたれ掛かって記念撮影していたのですが、皆さんやけに騒々しいし、服装はいまいち垢抜けていないし、ガイドさんが手にする旗に書かれていた漢字は簡体字。つまり大陸からの観光客だったんですね。歩道下の水面ではお魚がウヨウヨ群れて、大陸観光客が投げる餌に食らいついていました。
大陸からの攻撃に備えて血と汗を流しながらつくった軍事施設に、その大陸からの観光客が大挙してやってきて、そこに棲息するお魚まで生物的な本能を満たしているんですから、時代の変遷とは面白く不思議で、皮肉を伴うものです。何はともあれ平和が一番ですね。


 
翟山坑道の見学を終えた後は、宿から往た道を引き返し、珠山集落を通りすぎて古崗という集落までのんびり歩いてきました。本当にこの島は激戦地だったのかと疑わしくなるほど、のどかな景色が広がっています。
この古崗集落は、枝から気根をカーテンのように垂らす巨大なガジュマル(榕樹)の老木を中心に、レンガ積みの伝統的な閩南建築が軒を連ねていて、風情たっぷりです。


 
のどかな集落とはいえ、つい最近まで緊張の最前線だった島ですから、国民党のイデオロギーや軍事施設が当たり前のように景色に溶け込んでおり、「自立自強」と書かれたモニュメントや、防空シェルターと思しきコンクリの小屋も、伝統家屋と並んで立っていました。シェルターに関しては迷彩柄をアレンジしたカラフルなカラーリングが施されており、却って敵に見つかりやすくなっているようですが、そんな塗装を楽しめちゃうほど、大陸から攻撃される心配が減ったということなのでしょうか。


 
古崗集落を貫くメインストリートにはバス停があり、スマホのアプリ「台湾公車通」で調べたところ、ここで数分待てば島の中心部である金城行のバスがやってくるとのこと。これ幸いと、やってきた路線バスに乗り込んで、金城へと向かったのでした。
ちなみに、そのアプリ「台湾公車通」は、台北・新北・桃園・基隆・新竹・宜蘭・台中・台南・高雄・金門の各市および県を走る路線バスの到着時刻を調べるアプリで、バスの系統(路線番号)を選択することにより、現在運行中のバスの現在位置と到着予想時刻が表示されます。日本の乗継案内系のアプリのようなきめの細かな調べ方はできませんが「いますぐにバスに乗りたい」なんて場合には便利。今回の金門島観光では大変お世話になりました。
また、金門島の路線バスでは台北等の公共交通機関で便利な「悠遊カード」が利用可能ですから、予めセブンイレブン等で多めにチャージしておけば、運賃確認や小銭の有無を気にする必要はありません。今回金門島で乗ったバスでは、一度も小銭を払わずすべて「悠遊カード」を利用しました。



次回に続く

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