パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

精神的って・・・

2006年11月28日 | からだのこと
11月28日(火)雨
精神的なものも、ぎっくり腰って影響するのだろうか。
土日よれよれだった私であるが、昨日の午前中まで大事をとって
横になってたりした後、3時から教室へ。
腰にはがちっとコルセットをはめて。
今もまだ痛みはあるが、ゆっくりならしゃがめるし、
高い所の物も背伸びして取る事も出来る。
土日は、甘えられる夫がいる、娘がいるってことで
あんな激痛を自ら作り出していたのか???

この精神的なもの・・・厄介だったり、パワーになったり・・・不思議なものだ。
先週実家の母から思いっきり動揺した声で電話。
日頃からネガティブでマイナス思考な父の容態が悪化。
救急車を呼んでの入院。
しかし、目が悪く(このことが父の鬱の最大要因なのであるが)、
どんどん失明状態へ向かってるという状況で、受け入れてくれる病院がなく、
とうとう心療内科とは後で付け足したような、精神科の病院へ入院したというのだ。
4人部屋に入ってて、二人は無口な方たち、一人の青年は一日中ぶつぶつつぶやいている。
普通の(という言い方は語弊があるかもしれないが)病院のように
しょっちゅう看護婦さんが「どうですかぁ~?」と回って来てくれる事もないらしい。
母はそういう状況もかわいそうでたまらないという。
しかし、今の状態でうちにいると、母まで共倒れになってしまいそうなところまできていたので、
しばらくそこにお世話になって様子を見ようということに。
耳も悪くなり、目も見えなくなり、足のツメまでもが悪くなって手術の日が決まった矢先だった。
ひどい頭痛がすると本人は訴えるのだが、脳外科の先生も耳鼻科の先生も
異常ないとの診断。
まさに、気からくるものなのか・・・
遠くに離れてるので、心配ではあるが、その様子を見ていないだけに
案外冷静でいられる私って冷たい娘なのか。
せめて、少しでも鬱について勉強しようと、先日図書館へ行き、本を探す。
自分が乳がんだとわかった時、ガン関連の本を借りまくったが
その時は何の抵抗もなかった。
しかし、今回ウツに関する本を借りようとして、
ものすごく抵抗がある自分に驚く。
「鬱をぶっとばせ」とか「鬱だと感じた時に読む本」というような、
まさに患者本人向けの本には手が出ない。
私じゃないのよ!家族なのよ!と言わんばかりに
「家族をうつから救う本」というのを借りる事にする。
偏見の塊なのねえ~私って・・・
入院して一週間が過ぎ、毎日のように電話してくる母の声が少しづつだが
明るくなってる気がする。
昨日の電話では「おとうさん、目が悪いでしょ。
この病院ナースコールってものもなくて、用がある時は枕もとの鈴を鳴らす(一体いつの時代なのだ???)んだけど、あまり聞こえなくて、看護婦さんすぐ来てくれないらしいのよ。
そうすると、同じ部屋の無口な人が、だまってすーーっと看護婦さんを呼びに行ってくれるらしいのよ。夜中でも・・・」
こうして偏見の塊だった私達に学ばせるための父の入院なのかもしれない。
冬に帰省するまでに、いろんな本を読んで、父を快方へと導けるようになっておかなきゃ。
コメント
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