紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

稚内・1996年冬

2006-08-18 10:55:04 | 8・山と旅の思い出
立山・剣の花の写真を載せようと思っていたけど、稚内を旅している久我山散人さんのBlogを見て、急に、昔行った稚内のことを思い出した。

あの時、なぜ急にあのように寒い時期に、稚内までの1人旅を企てたのか?

いくつか理由はあった。

■その後、だいぶたってから刊行された「卒業旅行は北国へ」の取材。

場所は秋田・大館市。大鰐スキー場。十和田湖。

■中学の時の恩師が弘前大学の先生をしていて、一度授業を見においでよと誘われていた。

■稚内には、夫の知り合いが住んでいて、もしかしたら、その年流氷が見られるかもしれないといわれた。
というのは、流氷は、海流に乗って、普通は網走の方に流れていく。稚内の湾に入るには、ちょうど湾の外にいる時に、湾内に入らせる風が必要で、たいていは湾の外を通り過ぎてしまう。

その3つの目的を果たすために、とった経路は、すべて列車で移動して、稚内までたどり着くこと。
けっこう長旅になったのだけど、その年は、息子が高校1年、娘が中学2年。ちょうど受験の合間にあたっていたので、行けたのだ。翌年は、娘の受験なので、そんなには家を空けられない。

その時の写真を何枚か。

■弘前で吹氏と会うのは2度目。弘前市内の小料理屋に、F氏の授業を見たあと、研究室のみなさんと一緒に食事にいった。
(>吹氏、どさくさにまぎれて、女の子の手なんて握らないでね!)



■あとは全て稚内周辺。

一面雪に覆われたサロベツ。



うっすらと雪をかぶった利尻島が見える。



初めてのスノーモービル運転体験。寒いので、宇宙服みたいのをきたら、コロコロになった。チョーたのしかった。



写真トップ:稚内の町の裏山(公園か?)は、スキー場になっていて、アフター5になると、スキーを担いだ若者が、みんなでゾロゾロとそちらに向かっていった。

結局、流氷は海の向こうに見えたけれど、湾の中には入ってこなかった。
しかし、稚内は、寒い所だった。どんな風に寒いかというと、外に出たとたんは、そんなに寒いとは感じない。外を歩きながらしゃべっていると、突然顔(口)がこわばって、動かなくなってしまうのだった。

そして、お世話になった夫の知り合いに、いつか稚内あたりを舞台にして本を書きたいといったのに、まだ書いてない。ということを突然思い出した。

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