大連最終日、満鉄の旧本社屋の要予約の見学申し込みをTさんがしてくれていたのでやって来た。
南満州鉄道株式会社(通称、満鉄)は日露戦争勝利後の1906年に設立された半官半民の会社。
現在の大連の都市インフラの基盤を作る役割を担い、今回宿泊した大連賓館(旧大和ホテル)や大連港他を建設、
最盛期は80の団体を組織していたそう。
建物は現在も中国鉄路局の大連支局として使用されていて、一部は満鉄旧跡陳列館として公開されている。
コの字型に左右対称に建てられた建物、向かって右側は今回見学させて頂けた建物で1908年にロシアが建設中だった
ところを改修し、本社ビルとして使用され始めた。
重厚感のあるファサード。
しかし建物はかなり傷んでいる様子
向かって左側にある建物は満鉄本社となってから日本が増築したもので、
ロシア側の建物と比べて同ような形式で建てられているが装飾はやや控えめ。
こちらは立ち入り禁止。
約束の時間になると閉ざされていた扉が開いて、日本語を話すガイドさんが出て来られた。
私たちの他にもう一組グループがおられ、更にその前に見学を終えたグループとすれ違ったので
意外と日本人観光客が来られているようだった。
元はロシアが小学校として建設した建物だそうで、エントランスホールはロシア風の装飾が華麗に施されている。
エントランスホールを抜けると金彩が施された装飾はなくなり連続するアーチ壁が立派な階段ホールへ
こちらはコの字型の建物をつなぐ渡り廊下。
床は改修中なのかはがされたまま
階段ホール
二階では展示室となっているホール、満鉄総裁室、会議室を案内して頂けたが、
ホール以外は写真撮影禁止だった。
ホール入口上部の手の込んだ漆喰装飾。
ホールは展示物以外は撮影可で、しかしアングルを下に向けたら展示物が写ってしまうので
天井だけ・・
元役員の会議室だったというホール。
天井装飾はダンスホールのように華やかで美しかった。
展示物は満鉄の歴史的な資料からから満鉄オリジナル?食器類などまであり、ガイドさんが日本語で
丁寧に解説してくださった。
最後に連れていかれたのは売店。
日本統治時代から大連で作られていたという切子のグラスが現在でも大連の特産品となっているそうで
切子のグラスいろいろや満鉄の写真集などなどが売られていた。
この後、売店で買い物しない私たちは別グループと別れて先に退散。
建物見物をしながらホテルへ戻り、その後大連賓館では館内ツア―に参加(最初のブログ)し、帰りの空港へ向かった。
帰ってから・・ほっとしたからか?大連1日目夜に負傷した足はますます紫色に腫れあがり、なかなか腫れが引かず
ようやく普通に歩けるようにはなったものの、ひと月経った今もまだバドミントンは復帰ならず、大きなツケが回ってきたのだった;