蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

祇園祭   (bon)

2012-07-17 | 日々雑感、散策、旅行

今日、7月17日は京都祇園祭のクライマックス「山鉾巡行」が行われている。
35℃を超える猛暑日の中、宵山と共に暑い夏の京都が今年も巡っている。

京都祇園祭は、よく知られているし何度か見たこともある・・。
とりたてて言うこともありませんが、この際、ちょっと調べてみました。

京都観光スポットサイト(ネット)より、そのまま引用させてもらいました。
「毎年7月1日の「吉符入り」から31日の疫神社「夏越祓」まで1カ月に渡る神事が今年も京都に夏を告げる。

京都八坂神社のお祭り祇園祭は、疫病退散を祈願した祇園御霊会(ごりょうえ)が始まりです。
平安京はたびたび疫病が流行し、鴨長明の方丈記には、野垂れ死にした人の亡骸で鴨川が堰き止められた
などとも書かれているほどで、人々は祟りや疫病の恐怖に脅えていました。
貞観5年(西暦863年)に平安京の広大な庭園だった神泉苑で、仏教経典の読経、神楽・田楽や
踊りなども行う御霊会を行いました。
しかし、疫病の流行は続き、貞観11年(西暦869年)に平安京の国の数66本の鉾を立て
悪霊を集め祓い、インドの祇園精舎の疫病神「牛頭天王(ごずてんのう)」を祀り、
祇園天神とも称された「祇園社」に神輿三基を送り、御霊を鎮めるために祀り、やがて
平安末期には疫病神を鎮め退散させるために神輿渡御や神楽・田楽・花笠踊りや山鉾を出して
市中を練り歩いて鎮祭するようになった神仏習合の御霊会が祇園御霊会です。」

さらに、ウイキペディアから要約しこれに付け加えますと・・・

応仁の乱での30年の中断や第二次世界大戦などでの中断はあったけれども、現在まで、
1000年を超える歴史があるのですね。
なお、名称は明治維新による神仏分離令の影響で「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」より
「祇園祭」と仏教色が排除されたものとなっているのだそうです。

室町時代以来、祇園祭のハイライトは山鉾巡行であったが、現在では「巡行の前夜祭」である宵山に
毎年40万人以上の人が集まり盛り上がりを見せるため、祇園祭といえば宵山を先に思い描く人も多いとか。

朝の雅やかな山鉾巡行とは打って変わって、夕刻より行われる神幸祭での神輿渡御は、勇壮豪快で荒々しく、
3基の大神輿を総勢1000人以上もの勇猛な男達により担ぎ揉まれて神輿が暴れ狂うという。
いわゆる暴れ神輿というのだそうだ。
楼門前に集結して、揃い踏みにて神輿全基連合で勇壮に担ぎ上げられ練り暴れて、楼門前は歓声に涌きかえる。
その後はそれぞれ別ルートにて御旅所へ向かう。


「朝に山鉾が動く美術館の名をほしいままに巡行した都大路を今度は神輿が勇壮に練り暴れながらの渡御を行い、
四条寺町の御旅所宮入りにて神幸祭での最後の豪快な練りを披露する。
山鉾巡行を祇園祭のハイライトと呼ぶならば、神輿渡御はまさしく祇園祭のクライマックスと
呼ぶにふさわしいものである。」


宵山、山鉾巡行は何度か行ったことはありましたが、この神輿渡御のことは知りませんでした。

ちなみに「後の祭り」という諺があるが、これは祇園祭の大一番である山鉾巡行・神幸祭神輿渡御が終わり、
この後の祇園祭がたいしてメインとなるものがないことからこの諺が言われるようになった・・・などとも。
















コメント
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