ソチオリンピックをテレビで観ていて、ライヴや録画、さらには選手インタヴューなどを通じて、
選手一人ひとりの内に秘めた思い、気持ちが伝わってくるように感じました。
これまで テレビのスポーツ番組を観ていて、各種の競技の素晴らしさ、凄さなど、それぞれを楽しみながら
“テレビ観戦” していましたが、こんな感じを持ったことは、 あまり記憶がありません。
とりたてて言うほどの事ではなく当然のことで、そこにこそ感動が生まれる源泉が宿っているといえばそうですが、
今までは、そんな深い思いで観てこなかったのかもしれません。
テレビ放映が “より感動を伝える” という方針で演出効果を強めているからかもしれません。
とにかく、とくに歴史のある競技などに見入っていますと、選手の一人ひとりが何年もの間、ただひたすら練習と工夫、
改良を重ね、そのレベルを高める努力をしてきて、それを本番で発揮することの難しさ、というか運というか、
それこそいろんな条件が技量の他に総合して初めて期待する結果が得られる・・そのむずかしさが痛感されたのです。
スキージャンプの高梨沙羅選手は、あれだけワールドカップで連勝していたが、不運にもメダルを手にすることが出来なかった。
ある基準線を超えれば合格・・というのではなく、他の選手との競争の中で優位にならなければ結果が得られず、
他の選手も同じ時間だけ練習や努力を積み上げているから、その力量が予測できない中で自らを鼓舞して、
努力した結果を出さないといけない。
前回よりも、これだけやって来たのだから大丈夫だ・・今回はメダル獲得できる、という訳にはゆかない。
完璧なまでに練習を積んで、技量を高めて臨んでも、メダルの保証はない。
他の選手も同じように積み上げて来ている。 そして、本番には種々の条件がある。
本番を前にして、選手はどんな気持ち、思いで スタートに立っているのだろうか? 頑張ろう、平常心でやろう、
無事ゴールできますように・・など、 いや、もっと切実な思いもあるかもしれない。
ファンや多くの支援者に対する重責もあろう。 個人的な “あの人” の顔が浮かんだりして、“よぉ~し、何としても・・” も、
あるだろうし、“神様、うまく実力が発揮できますように” なんて、思うかもしれない。
スキージャンプ 葛西紀明選手
(ネット画像より)
スキージャンプの葛西紀明選手は、7回目のオリンピック出場で初めて個人メダルを手にした。
飛ぶ前夜のイメージトレーニングで “もし、金メダルが取れたらどうしよう”、 “メダルが取れなかったらどうしよう?”
などが脳裏に浮かんだそうだ。 これだけのベテラン選手でも、競技に臨む 不安にも似た気持ちである。
若い、羽生結弦選手は、金メダルに輝いた。 やはり、競技に臨む、それまでの練習や工夫、そして直前の気持ちは
みんなと同じ思いでしょうが、若い分だけ、その気持ちの中にも 若干の余裕みたいなものがあるのではないだろうか?
可能性のバネみたいなものが・・。 そのバネが切実さをいくらか和らげてくれるのではないだろうか?
41歳、7度目のスキージャンパーのこのバネは、もはやもっと厳しいものであったに違いない。
モーグルの上村愛子選手もきっとこのような気持ちではなかったか?
スピードスケート1,500m決勝では、1000分の3秒差で金メダル、というのもあった。
受験生の心境も同じかも知れない。
雪の中の、受験シーズン、それなりに頑張って来たけれど、他の人もみんな頑張っている訳で、本番に果たして
実力が発揮できて、 首尾よく合格できるかどうか?
浪人生にとっては、さらにこの一年励んできたが、だからといって合格が保証されている訳ではない。
あくまでぶっつけ本番なのだ。
今年は雪が多い。 天候による交通事情などのアクシデントで、“気持ち” まで揺らぐことがないよう、
悪条件バイアスなしで本番に臨めますように・・。
ソチも、早や11日目となりました。
残された競技を無事にこなしてほしい。
世界のトップレベルの戦いであり、そこには君の強い精神力とこれまでの努力の華がある。