蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

お風呂  (bon)

2014-02-14 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日は、早めのお風呂に入りました。 

 市民農園が今月末で借用3年間の期限が今月末に来るため、秋植えのブロッコリー5株(普通3株、スティック2株)を
収穫・整理して、結構汗をかきました。  (市民農園は、再度抽選により借用が決まります。)

 それで、最近では久々の汗をしたので、早めのお風呂・・ ということになりました。
おまけに、夕飯の1品に “風呂吹き大根” が出ました。

 このようないきさつで、“風呂” について記事アップすることになりました。

 お風呂の起源は、紀元前何千年も前から、払い清めの沐浴のための浴室が作られたり、温水の浴室が神殿に
作られていたとありますから、かなり昔からのものなんですね。  また、ギリシャあたりでは、スポーツ施設に付帯して
沐浴のための大規模な公衆浴場として水風呂が作られていたそうです。

 日本では神道の風習で、川や滝で行われた沐浴の一種と思われる 禊(みそぎ) の慣習が古くより行われていたと
考えられているようです。

 仏教が伝来した時、建立された寺院には 湯堂、浴堂 とよばれる沐浴のための施設が作られ、もともとは僧尼のための
施設であったそうですが、その後一般民衆への開放も進んだといわれています。
当時の入浴は湯につかるわけではなく、薬草などを入れた湯を沸かしその蒸気を浴堂内に取り込んだ蒸し風呂形式で
あったことから、“風呂” は元来、蒸し風呂を指す言葉と考えられており、現在の浴槽に身体を浸からせるような構造物は、湯屋・湯殿などといって区別されていた・・とあります。

 平安時代になると寺院にあった蒸し風呂様式の浴堂の施設を上級の公家の屋敷内に取り込む様式が現れ、
枕草子などにも、蒸し風呂の様子が記述されているそうです。 そして、次第に宗教的意味が薄れ、衛生面や
遊興面での色彩が強くなったと考えられています。

 浴槽にお湯を張り、そこに体を浸かるというスタイルがいつ頃発生したかは不明ですが、古くから桶に水を入れて
身体を洗う行水というスタイルと、蒸し風呂が融合してできたと考えられています。
この入浴方法が一般化したのは、江戸時代に入ってからと考えられています。

“風呂” という語源は、もともと “窟(いわや)” や “岩室(いわむろ)” の意味を持つ “(むろ)” が転じたという説が
ありました。


“ふろ”といえば、茶道で必需のものがありますね。

風炉(ふうろ、ふろ)です。 抹茶を点てる際に使う釜ですね。 

 茶釜を火に掛けて湯をわかすための炉のことで、唐銅製、鉄製、土製、木製などがある。 
灰と火(炭)を入れて釜をかけ湯を沸かす道具で、火鉢のようなものです。

             風炉
                (ウイキペディアから、奥の釜)



これには “炉” と ”風炉” という2種類があり、風炉は夏季 5~10月に使用、炉は冬季 11月~4月に使用されるそうです。
 もともと、茶の湯の作法は風炉が基本で、現在も本格形式で点前をする際は風炉を使用するそうです。
炉は風炉の変形として、囲炉裏を囲んで団欒していた風景からヒントを得て取り入れられたとされ、完成させたのは
千利休と言われています。

 また、“風炉”は、工業分野で小さい試金用などの溶解るつぼを加熱す   るための炉のことでもあり、
るつぼのまわりにコークスを入れ、高温(1400℃程度)で加熱する。

 

 さらに、を塗った器物を入れて乾燥させる室のことを、“風呂” “漆風呂(うるしぶろ)” と呼ばれます。
適当な温度と湿度を保って,漆を塗った器物を乾燥させるのですね。


次に、おかずに出て来た “風呂吹き大根”。

           昨夜の一品
               

 

 この名前の由来には諸説あり、一説によると、「漆器職人が冬になるとうるしの乾きが悪くて困っていたところ、
ある僧から風呂(漆器の貯蔵室のこと)に大根のゆで汁を吹き込み、そこで乾かすとよいと教えられ、その通りに
するとうまくいった。 この時、大量のゆで汁を取るため、ゆでた大根も大量に余ったので近所に配った。
すると、これがおいしいと評判になり、風呂にゆで汁を吹き込んだ残りの大根であることから、“風呂吹き大根” の
名前が生まれたというもの。 しかし、“風呂” とは本来、蒸し風呂のことを指し、蒸気を満たした “室(むろ)” が
語源であることを考えれば、上の説は前後が逆転しているよ考えられる。 もともと漆器の乾燥室である風呂に
湿気を与えるために沸かす湯が勿体ないため、大根を茹でるのに使った――という説のほうが信憑性は高い。」
とありました。

熱い湯気の出ているダイコンを “吹きながら食する”・・ 風呂吹きながら食べるダイコンなのでしょうか?

 

 また、“風呂敷”というのも “風呂” に関係ある?  関係あるんですね、これが・・。
 もともとは、この布のことを、古くは衣包(ころもつつみ)、平包(ひらつつみ)と呼ばれていたのですが、それが
風呂敷と呼ばれるようになったのは、室町時代末期に大名が風呂に入る際に平包を広げその上で脱衣などして服を包んだ、
あるいは足拭きにしたなどの説があるが明確ではない。その後、江戸時代になり銭湯の普及とともに庶民にも普及した、
とあります。なお平包の言葉は風呂敷の包み方の一つとして残っています。

 また、昔は、入浴することは心身を清めるための厳粛な行事であり、裸ではなく白衣で入るのが作法であった。
そのため入浴前後に、広げた布の上で服を更衣したが、この布を “風呂敷” と呼んだのがその起源という説があり、
濡れた風呂衣を風呂敷に包んで持ち帰ることなどによって敷布としての役割から包んで運ぶ用途が加わっていくように
なったと考えられる。

さらに、もともと風呂は蒸し風呂のようなものであったため “むしろ”、“すのこ”、“布” などが床に敷かれていた。
これが風呂敷の起源であるとの説もある。大名などが入浴する際に他者の衣服と間違えないよう家紋を付けた布に
脱いだ衣服を包み、湯上りに際してこの布の上で装束を調えたという記録があり、この時用いられていた敷布が
“風呂敷” と “平包” の双方の役割を果たしていた、というのももっともらしい。

 このような入浴の際の習慣は、江戸時代にも継承されていて、江戸や上方の町では銭湯が盛んになり、
庶民も衣類や入浴用具を “平包” に包み持って銭湯に出かけている。  風呂に敷く布で包むことら、
“平包”に代わって “風呂敷包み” や “風呂敷” と広く呼ばれるようになったとも。
このようにして、包むための布としての風呂敷の呼称は、やがて “風呂で敷く布” から、“包む布” として行商人たち
によって全国に広められていったと考えられる。

なるほど、いろいろとあるもんですね。

大風呂敷”といって布団を包めるようなものもあるといいます。

 
       今日は、朝から深々と粉雪が舞っています。 熱めのお風呂がいいですね。

 

 

久しぶりにナツ・カヨから

 

 

 

 

 

コメント
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