蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ウクライナ  (bon)

2014-02-28 | 日々雑感、散策、旅行

 ウクライナは、今、ヤヌコービッチ政権が崩壊し、暫定政権が発足しました。
多数の死者まで出した反政府デモによる暴動は取りあえず沈静化しています。

 日頃、かっての棒高跳び世界記録保持者のセルゲイ・ブブカ(今年、1㎝フランス人に記録を破られた)や、
作曲家のプロコフィエフ、世界的に有名なレシピ “ボルシチ”、それにお父さんがウクライナ人の相撲の
大横綱大鵬幸吉くらいが そうだという程度で、あまり関心を持ってこなかったこの国が、
今や欧州、ロシアを分けるかもしれないそんな危機を孕んでいるともみられるのです。
(ウクライナは、ロシアの天然ガスの欧州への中継点でもある。)

          ボルシチ(ウイキペディアから)
                           
 

 長引く経済の低迷と外貨準備の枯渇などから、もともと対外支援の必要性が高まっているところに、
根強いロシア、反ロシアの対立感情の下地から、大統領が、これまで進めてきたEU連合協定を中止し、
ロシア寄りに舵きりをしたことに抗議デモが勃発し、エスカレートした。
今年1月に入って、集会、言論の自由を事実上規制する “デモ規制法案” を強行採決したことから治安部隊と
真っ向から衝突して、あげく大統領を解任し、政権が崩壊しました。

 

 この国について、ちょっと調べてみましたら、もともと、コサック時代から戦火や混乱が絶えず起こり
安定した国ではなかったようですね。

 現代に入り、ようやく1918年にウクライナ人民共和国の独立を宣言しましたが、順風ではなかったようです。
その後、1922年にはウクライナ社会主義共和国は、ロシア、ベラルーシ、ザカフカスと共に同盟条約によって
ソビエト連邦を結成したのです。

第二次世界大戦においてもウクライナは莫大な損害を蒙ったそうです。

 さらに、1986年4月26日、チェルノブイリ原発事故が発生し、国内外に大きな被害が及び、未だゴーストタウンで
あるらしい。 ウクライナ国内に当たる地域には220万人ほどが住んでいたそうですが、我が、東日本大震災で
福島原発事故がもうすぐ3年を迎えようとしているさ中、これも重ねて思ってしまうのですね。

         チェルノブイリ(ウイキペディアより 一部加筆)

                   

 

 1989年9月、ソ連 ゴルバチョフのペレストロイカにより、崩れ行くソ連を見限り、最高会議はウクライナの
独立を宣言しました。 
1917年の独立革命の挫折以来、幾多の試練を乗り越えて、ついにウクライナの独立は達成されたのです。


 また、直近の大統領選挙においては、多くの候補者が林立する中、2大派が激しい戦いをしているのです。 
ウイキペディアから、かいつまんでまとめますと、

 “2004年、クチマ大統領の任期満了に伴う大統領選挙の際、クチマ大統領の後継ヤヌコーヴィチ首相と、
野党指導者・ユシチェンコ元首相の一騎打ちという形になった。10月の第1回投票ではユシチェンコが首位に立つが、
僅か15万票差であった。

11月の決選投票の結果、ヤヌコーヴィチの当選が発表される。 しかし、ユシチェンコ陣営は翌日夜、
決選投票において全国で1万1000件の不正が行われ、第一回投票の5倍に膨らんだと、政権側の選挙違反を
糾弾した。これにより首都キエフを中心に、ストライキなどの大規模な政治運動が起こった(オレンジ革命といわれる)。

 欧米諸国の圧力もあり再選挙が行われることとなり、12月に実施された再決選投票の結果逆転し、
ユシチェンコが52.12%、ヤヌコーヴィチが44.09%の得票となり、ユシチェンコ元首相の当選が確実になった。
ヤヌコーヴィチ陣営は今度は、ユシチェンコ陣営に不正があったとして最高裁に提訴したが野党による
政府施設の封鎖が起こり、提訴が却下された。 翌2005年1月23日にユシチェンコ元首相は正式に第3代大統領に就任した。

 5年任期終了後の2010年1月に大統領選挙が行われた。18名が立候補し、地域党のヤヌコーヴィチが
1位となったが、当選に必要な過半数に届かず、決着は2位のティモシェンコとの間で行われる決選投票に
持ち越されることになった。 現職のユシチェンコは支持を集められず5位に終わった。

 2月7日、北大西洋条約機構(NATO)などの監視団が見守るなか大統領選挙決選投票が行われ、
ヤヌコーヴィチが勝利した。、開票率96%の段階でヤヌコーヴィチは48.3%、ティモシェンコは46.0%と拮抗しており、
ここでも、ティモシェンコの支持者は不正があったと主張したが、結局、ヤヌコーヴィチの得票率は48.95%と、
対立候補のティモシェンコの45.47%を3.48%ポイント上回った。 
一度は「革命」によって大統領になり損なったヤヌコーヴィチが、今度はウクライナ大統領に就任するという、
皮肉な事態を招くこととなった。”
 

 そんな、ヤヌコーヴィッチ大統領は、このほど失脚しましたが、先日の新聞報道によれば、127haの広大な
私邸 “御殿” が報じられていました。
5階建ての凄い豪邸の写真のほか、自宅敷地内に、なんとゴルフ場、動物園や大型帆船を係留するほか
贅を尽くした豪邸だと・・。1ha=10000㎡ですから、127万㎡。  
 30年ほど前に私がイギリスに旅行したとき、“タットン・パーク” という、昔の豪族の屋敷跡を見学したことが
ありましたが、お屋敷の2階からはるか向こうに見えるヨットが浮かぶところも敷地内でしたから、本当なんですね。 
昨今のように民主化した現代でも、このようなことがあるのですね。

 この国に限らず、そのような目で眺めてみるとあちこちの国で、耐えず他国との緊張を控えたり、
国内の反対勢力との綱の引き合いなどが必ずと言っていいほどあり、むしろ完全平和なんていうところは
皆無なんでしょうね。

 昔、仕事でお付き合いしていた論客が、“シャボン玉理論” というのを持ち出して、力のバランスを説明していたことを
思い出しました。 つまり、シャボン玉は、部分に加わる圧力によって薄い膜が破れないように、膜厚を調節して
球を保っている。 だから、光にあたって七色に変化してみえる。膜厚調節が限界にきて、このバランスが
破れると、シャボン玉は弾けてしまう・・というものです。
この地球の表面での、国々の力の引き合いによる膜厚のバランスが保てているうちは、七色に輝くが、
膜厚調節がうまく行かなくなると大変なことになる。 
心配性ではありませんが、少々気にはなりますね。

 

 

 プロコフィエフの交響曲・・と行きたいところですが、少々疲れましたのでイージーリスニングで・・。

 

 

 

 

 

 

コメント
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