蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

コロンブス  (bon)

2014-10-11 | 日々雑感、散策、旅行

 パキスタンの少女、マララさん(17)が、今年のノーベル平和賞に選ばれました。女性の教育を
受ける権利を主張し続ける、その姿、独自の言葉に現れた彼女の強い信念と行動に感動しました。
そして、その彼女を平和賞に選んだ選考委員会の識見と現世界へ発した強い意志にも。

 

 明日、10月12日は、コロンブス・デーとかで、アメリカ合衆国で多くの銀行などの公共施設が
定休日となり、学校も休みとなるところがあるという。

コロンブスは、“新大陸発見 イ・シ・ク・ニ・(1492年)”、“コロンブスのたまご” でよく知られています、
あのコロンブスです。

                    (ウイキペディアより)

 で、少し調べてみましたら、“新大陸を発見” などというのは、少し違うのではないか・・というのですね。 
新大陸といっているのは実は、アメリカ大陸のことで、ここにはこれ以前からインディアンやインディオなど
のモンゴロイド系先住民族が一万年以上前から居住し独自の文化を築いていたわけだから、
“新大陸” という言葉そのものがヨーロッパ中心で世界を見ていたことに過ぎないといっています。
だからむしろ、一般的には、コロンブスの功績は 「大西洋航路の発見」、つまりヨーロッパと
アメリカ大陸を結ぶ 「航海路を発見した」 というのが、妥当ではないかとしています。 
なおコロンブス自身はアメリカ大陸を最後までアジアだと誤認しており、“新大陸” と気づく事は無かったそうです。
               コロンブス航海地図 
                     (ウイキペディアより)

                  

 そしてもうひとつ、ウイキペディアなどの記述からは、コロンブスは相当な悪辣・残虐な人物のように
感じました。 英雄・・なんて、子供の頃、教えられたように記憶していますが、
考えてみれば、
文化が進んでいない国、民族を騙し、搾取し、奴隷化した昔の侵略を思えば当然なのかもしれませんけど。

 彼の このような側面は、否めないところですが、この時代の冒険家、事業化?としては、やはり
前人未到の偉業を成し遂げた、大した人であることには違いありません。そして、地球が球体であるなど、
知識も優れ、さらに政治的手腕にも長けているようですね。 
少し、抜き読み的に、短くご紹介しておきたいと思います。

 

クリストファー・コロンブス(Christopher Columbus、1451年頃 - 1506年5月20日)は
探検家・航海者・コンキスタドール、奴隷商人とあり、イタリアのジェノヴァ出身といわれている。
大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達したひとりである・・
と記されています。

 コロンブスは、ポルトガルに移り、地図の製作や積極的な情報活動などから、西回り航路を着想し、
具体的な航海企画を作り、ポルトガル王に提案(1484年頃)することになるのです。
王室諮問委員会で検討されたが、彼の要求が大きすぎたこともあるなどから、結果は認められなかった。 
8年を過ごしたポルトガルを後にして、スペインに渡り、彼の企画案を要人に説得して回り、ついに
伯爵の胸を打ち、王室にて検討される道筋を得たのです。 
はたして、女帝イサベル1世の心を動かし(1486年)、王室諮問委員会で2度にわたり検討されるも
結論は持ち越された。なかなか返答がもらえなかったうちに、とうとう1491年には否定的結論が届き、
万策尽きたコロンブスはさすがに諦めてフランスに向けて旅立った。
しかし、運とは面白いもので、翌1492年懸案のグラナダが陥落したことで、スペインの財政に余裕ができ、
もともと乗り気であったイサベル1世は、俄かに勢いを得てコロンブスの計画を承認したのです。
時、既にコロンブスはフランスに向けて旅立っていて、この女王の決定が伝令され、劇的な出来事と
なりました。

 1492年4月17日、グラナダ郊外のサンタ・フェにて、コロンブスは王室と “サンタフェ契約”
締結しました。その内容は、

  1. コロンブスは発見された土地の終身提督となり、この地位は相続される。
  2. コロンブスは発見された土地の副王及び総督の任に就く。各地の統治者は3名の候補をコロンブスが推挙し、この中から選ばれる。
  3. 提督領から得られたすべての純益のうち10%はコロンブスの取り分とする。
  4. 提督領から得られた物品の交易において生じた紛争は、コロンブスが裁判権を持つ。
  5. コロンブスが今後行う航海において費用の1/8をコロンブスが負担する場合、利益の1/8をコロンブスの取り分とする。

というものだったそうです

 1492年8月3日、大西洋をインド(インディア)を目指してパロス港を出航したのです。
大西洋を西に行けばアジアに至ると信じていたのですね。 航海中、乗組員の不平不満が募り、
小規模な暴動まで起きるほどだったが、なだめながらとうとう、10月11日の日付が変わろうとする時、
ピンタ号の水夫が陸地を発見しました。翌朝、コロンブスはその島に上陸し、ここを占領して
サン・サルバドル島と名づける。 これが新大陸なんですね。 この日から、300周年を記念して
10月12日を “コロンブス・デー” と制定して祝うようになったそうです。


 しかし、上陸した島でコロンブス一行は、地元インディアン達から歓待を受け、水や食料の他、
オウムや綿の玉、槍やその他見たことのないたくさんのものが贈られた。コロンブス一行はそれを
ガラスのビーズや鷹の鈴と交換したりしたが、コロンブスの興味は、ただ黄金にしかなかったとあります。 

コロンブスの手記・・
 「私がインディアに到着するとすぐに、私が見つけた最初の島で、彼ら原住民(アラワク族インディアン)
たちに、私に差し出さなければならないものがこの品々の中にあるのかどうか教え込むために、
私は力ずくで原住民の何人かを連行した。」

「彼らは武器を持たないばかりかそれを知らない。私が彼らに刀を見せたところ、無知な彼らは刃を
触って怪我をした。 彼らは鉄を全く持っていない。彼らの槍は草の茎で作られている。
彼らはいい身体つきをしており、見栄えもよく均整がとれている。彼らは素晴らしい奴隷になるだろう
50人の男達と共に、私は彼らすべてを征服し、思うままに何でもさせることができた。」

「原住民たちは所有に関する概念が希薄であり、彼らの持っているものを『欲しい』といえば彼らは決して
『いいえ』と言わない。逆に彼らは『みんなのものだよ』と申し出るのだ。彼らは何を聞いてもオウム返しに
するだけだ。彼らには宗教というものがなく、たやすくキリスト教徒になれるだろう。
我々の言葉と神を教え込むために、私は原住民を6人ばかり連行した。」

・・・コロンブスに対する認識が変わりました。

 

逸話: 日食や月食を利用して、科学の進んでいない地域の人々をだました。

逸話: マルコ・ポーロ『東方見聞録』からの知識にもとづいて、「発見」したキューバ島や
エスパニョーラ島を当初ジパング(日本)と思った。

名言: 航海することが前提であり、生存することが前提ではない。

名言: 創造は難しく、模倣は易しい。

逸話: コロンブスの “たまご”   コロンブスの帰国歓迎式典では、皆がみな彼を賞賛したわけではなく、
“誰でも西へ行けば陸地にぶつかる。当たり前のことだ” と水を差す人がではじめた。その時、
コロンブスは卵をとり、“誰かこの卵を立てることが出来る人はいますか” と謎をかけたのである。
何人かが挑戦してみたが、誰も立てることは出来ず、ついには怒り出す人が出る始末となった。
コロンブスは卵を引き寄せ、テーブルで軽くたたいて卵を立てて見せたのである。一同は、
そんなことをすれば、立つのは当たり前だ、といったことに対して、“皆さん、創造(初めてすること)は、
困難だが、模倣は容易だ” と切り返した。というおはなし・・。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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