蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

川越まつり  (bon)

2016-10-17 | 日々雑感、散策、旅行

                  昨日は、プロ野球クライマックスシリーズ・ファイナルステージで
      日本ハムが勝ち、いよいよ日本シリーズは、セ・パ両リーグ優勝チームの
      広島ー日ハムの決戦となりました。楽しみですね。また、昨日は、日本オー
      プンゴルフで、松山英樹が安定したゴルフで国内メジャー初優勝に輝きました。  
      さわやかでした。

 

 先の土・日(15~16日)は川越まつりでした。古い蔵造りの街並みに繰り広げられる祭りは、
例年大勢の観光客で賑わいます。 埼玉県川越市は、都心から40分~1時間程度のところに位置
し、西武新宿線本川越駅、JR/東武東上線川越駅そして東上線の川越市駅を加えて、中心
市街地に3つも駅があり、車でも関越自動車道川越IC、国道254などが通過する県内3番目の市
です。
 昨日の、日本オープンは、この近く入間市のゴルフ場でしたし、12日には、首都大停電を起
こした電力ケーブル火災は、国道254脇の新座市付近の洞道施設で これもエリアです。 この
火災は、ちょうど蓼科農園からの帰路、国道254の下り前方に、ピンポイントから立ちのぼる
黒煙が黙々と空高くまで伸びるのを見ながら走行したのでした。
 前置きばかりで、記事が終わってしまいそうですが、川越は私が埼玉県に住み着いてから、
親しみのある街の一つとなっています。

 

 本題の川越まつりは、1648年、当時の川越藩主、松平伊豆守信綱が氷川神社に神輿・獅子頭・
太鼓等を寄進し、祭礼を奨励したことに始まり、その後、華麗な行列が氏子域の町々を巡行し、
町衆も随行するようになったとあります。この祭祀、祭礼が「川越まつり」の起源となってい
ます。関東では数少ない山車の引き回しの祭りです。江戸時代には、“踊り屋台”が当時の
花形として人気があり、現在も、演じられています。 また、祭りの夜の見ものとして“曳っ
かわせ”があり、双方の山車が繰り広げる光景は、幻想的な夜の街を演出するのです。

          川越まつり
           (ネット画像より)
             (蔵造りの街を練り歩く・・)


 川越は、新河岸川の舟運によって、リアルタイムに入ってくる江戸の風流、風俗を取り入れ
ながらこの祭礼も大いに発展したといわれています。360年以上続くこの祭りは、2005年に
「国指定重要無形民俗文化財」に指定されています。

 そもそも、川越は、武蔵野台地の北端、荒川と入間川が市内で合流する地理的な要衝で、
平安時代には豪族の河越氏が興り、鎌倉幕府で権勢を誇り、室町時代に太田道灌によって
「河越城」が築城されるなど、江戸時代以前は江戸を上回る都市で、「江戸の母」と称され
たといいます。 江戸時代に入り、舟運で、江戸と直結した物流の要衝ともなり、この地は、
武蔵国一の大藩としての格式を持ち、酒井忠勝、堀田正盛、松平信綱、柳沢吉保など大老・
老中クラスの重臣や越前松平家が配され、商工業や学問の盛んな城下町となったのです。
「小江戸」(こえど)の別名を持つています。今でも、“小江戸川越”などと言っています。
また、国から「歴史都市」に認定されており、戦災や震災を免れたため歴史的な街並が残って
いて、市内の観光名所などに、年間約620万人もの観光客が訪れる観光都市となっているのです。

          川越のシンボル 時の鐘
            (川越市HPより)


 川越藩によって殖産政策が遂行され、農産物や絹織物・工芸品など市場競争力のある特産品
開発がなされたとあり、中でも、狭山丘陵での河越茶(狭山茶)、武蔵野の開墾地のサツマイ
モの栽培が盛んとなり、舟運で江戸に出回ったサツマイモは川越芋と呼ばれ「栗よりうまい
十三里」というフレーズと味の良さで「イモの町」のイメージが定着し、今でもその名残があ
るのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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