蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

御茶ノ水  (bon)

2016-10-21 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日の東京は良いお天気で日中は27~8℃という暑さでした。北海道では初雪が降った
というのに・・。

 久しぶりのランチの会は、お茶の水界隈の散策でした。お昼前に、JR御茶ノ水駅・聖橋
口で待ち合わせて、まずは早めのランチとなりました。 久しぶりでもあったせいか話題が
尽きず、食後のコーヒーを入れると有に2時間のランチだったのです。 久しぶりといっても、
しょっちゅうメールでラグって(話して)いるにも拘らずです。不思議ですね・・。メンバー
の中の最高齢者(89歳)のH氏は、今もって矍鑠とされていて、その昔、この界隈に住んでい
たというだけあって、大変物知りで、お話も泉のごとく出てくるのでした。 界隈の歴史的な
事柄だけでなく、健康医学、教育関連、映画・TV技術などと大変な知識家で、まるで“お茶
の水博士?”みたいな方で、一同大いに盛り上がってしまいました。

聖橋(現在、長寿化工事が行われていました。)  御茶ノ水駅(JRとメトロ) 
 
                    (上がJR、下はメトロ丸の内線、その下は神田川)

           


 ランチの後は、お目当ての「湯島聖堂」に向かいました。聖橋を渡ったすぐのところを右に
石段を下りた森が孔子廟で、大きな楷(かい)の木が植えられて、その奥には立派な孔子像が
建てられていました。湯島聖堂は、1690年5代将軍、徳川綱吉によって建立された孔子廟で、
後に幕府直轄の学問所となります。昌平坂学問所(昌平黌)とよばれ、東京師範学校(現在の
筑波大学)や東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学) の源流となっているのですね。
「日本の学校教育発祥の地」とされているそうです。 学問成就を叶えてくれるとあって、
近くの湯島天神(湯島天満宮)と並んで、時季には大賑わいとなるそうです。都心のど真ん中
にありながら、閑静なたたずまいを残し重厚な雰囲気を醸していました。若い外国人も訪れた
りしていました。

 孔子廟(大成殿)            孔子像 
 

 

 湯島聖堂を出て、本郷通りを渡ったところに「神田明神」があります。入口鳥居脇には
老舗の甘酒屋があり、菓子なども売っていたので、飴を買いました。

 神田明神は、正しくは神田神社で、江戸3大祭りの一つ「神田祭」で有名ですね。神田明神
の歴史は古く、1300年を遡るそうですが、平将門の乱(935年)で敗死した将門をこの地の傍に
葬られましたが、その後(1300年ころ)神田神社の相殿神として祀られたとあります。
江戸時代には、総鎮守として尊崇されたそうです。境内は思ったよりは広く、平日だというの
に、多くの人が参拝に来ていました。

 神田明神鳥居              境内  
 

 

  午後の暑い最中でしたが、来た道を戻り再び聖橋を渡って、ニコライ堂に向かいました。
この側は、これまでに何度も通ったことはありましたが、このように立ち止まり写真を撮っ
たり、中に入ったりしたのは初めてでした。正しくは、「東京復活大聖堂」というのだそう
です。復活?とは、すなわち、“キリストの復活”を記憶する大聖堂なんですね。 日本に
正教会の教えをもたらしたロシア人修道司祭(のち大主教)聖ニコライが建立したことから
“ニコライ堂”と呼ばれ親しまれていますが、聖ニコライを記念した聖堂との意味ではない
とあります。また、ロシア正教会の聖堂でなく、あくまで、日本正教会の聖堂なのだそうです。
実施設計の担当は、あのジョサイア・コンドルなんですね。

 ニコライ堂               正面   
 

 

 余談ながら、「ニコライの鐘」を作曲した、古関裕而は、ニコライ堂の聖歌指導を務めた
作曲家の門下生だそうで、 また、ユダヤ人にビザを発行したことで知られる杉原千畝も
かって、ここニコライ学院で教鞭をとっていたそうです。

 

 季節はずれの暑い秋の午後、のんびりと都心の散策を終えて、近くでお茶し、またまた
長い談笑を繰り返して、ようやくお開きとしました。特に、どこというでもなく、極めて近
場で、よく知るところも このように、じっくりと話しながら巡る楽しさをかみしめた一日
でした。ランチ処を含めた企画設定に感謝して・・。 


          

 

 

 

 

 

 

 

コメント (1)
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