蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

 世界アマチュア無線の日  (bon)

2017-04-18 | 日々雑感、散策、旅行

 今日、4月18日は、世界アマチュア無線の日です。
 1925年(大正14年)にパリでIARU(国際アマチュア無線連合)が設立された日を記念して、
この日が制定されました。今年で92年になります。日本でも、JARL(日本アマチュア無線
連盟:東京巣鴨)が、この日に合わせて記念運用をしたりしたこともあります。

 アマチュア無線は、今ではインターネットやスマホなどの普及で、アマチュア無線局の
数はぐっと少なくなっていますが、最盛期には135万局もあったそうです。1995年
(平成7年)を境に、現在、約43万局だといわれています。 1950年(昭和25年)に
電波法が制定され、アマチュア無線もこの時法制化されています。 2年後の昭和27年に
初めてアマチュア無線局の免許が交付され、アマチュア局が誕生したのです。
 このころ、私は、ちょうど中学に入ったころで、いわゆるラジオ少年よろしく、明けて
も暮れてもラジオ受信機や無線機の製作に没頭していたのでした。 当時、5球スーパー
ラジオが日本でも普及し始めたころで、友達の家のラジオもたくさん作ってあげたのを覚
えています。

 今のような、IT社会ではなかったですから、私たちには、このアマチュア無線やラジオ
の製作は ことのほか興味をそそる対象でした。 中学高学年になるにつれて、私は、無線
というよりは、アンプ(当時の電蓄)の製作に進んで、自作のアンプでレコードなど、低音
を効かせた音量で聞いていたのでした。 音楽を聴くというよりは、むしろ音を聞いていた
のかもしれません。
 で、アマチュア無線に入り込んだのは、会社勤めもすでに管理職になっていたころで、
1978年ころ、当時、“モービルハム”が流行っていたのでした。マイカーに無線機を搭載
してアンテナを振りかざしてドライブする・・あれです。
      
      モービルハム(1978年頃の写真です。)
      
 

 携帯電話などはまだありませんでしたから、職場で、車で旅行をするときなど、走りなが
らお互いに連絡を取り合って、お昼をとる場所とか、お茶の場所とかを決める‥ そんな
楽しみのために 職場の仲間でこぞって免許取得したものでした。これって一応、国家試験
なんですね。 試験会場には、小学生なども来ていて、試験問題の漢字が読めない子もいた
りしました。

 話は個人ごとが続いて恐縮ですが、私の貴重な体験の一つですので、この機会にご披露
させていただきたくなりました。

 1979年(昭和54年)のことです。 このころ会社では、画像や映像関連の開発を担当して
いまして、今でいうインターネットのまだ卵のような新しいサービス(テレマティーク)に
関する国際技術標準規約を作成すべく、国際会議が割と頻繁にあり、私も何度かジュネーブ
(スイス)の会議に出席していました。

 国際会議場の一角(国際電気通信連盟『ITU』本部の旧館4階)に、世界アマチュア無線
クラブ本部(IARC)があり、会議の合間に 屋上にあるアンテナを目印に、その部屋を訪れ
ました。 1979年5月16日14時半(JST23時半)のことでした。 無線設備等を先に見て、
一応使用許可をもらうため、本部事務局を訪ねました。 ちょうど、クラブ本部会長が在室
でしたので、その旨を話すと、とても気安く“どうぞ!”と言ってくれたのです。
 しかし、私の日本でのアマチュア無線免許は当時『電話級』(最も低いクラス)でした
から、扱える無線機器の電波出力は10W(ワット)までしか許されていないのです。ところ
が、ここにある無線機器の出力は1kWもある すごいものでしたので、念のために恐る恐る
“あのぉ~ 私の日本の免許は電話級なので、10Wまでしか扱えないんですけど・・”と
正直に言ってみましたら、“OK! ここは日本ではありませんから・・”と返事が来て、
なるほど!と思いました。

 ITU本部旧館               本部室入り口と会長の名刺
     


 意気揚々と、無線機の前に座り 初めて触る高出力の無線機の取説を見ながら、出力電波を
調整しました。無線機器は日本製でしたが取説はすべて英語で書かれていて、半分ヤマ勘で
ダイヤルを回したりしました。 屋上のアンテナ(6エレメント)も 机上のツマミで方向を
調整することができます。 はやる気持ちを抑えながら、アンテナの指向性を日本に向けて
電波を発射しました。
 
      無線室の機器2種(どちらの機器も日本製でした)
 

 

 “ハロー CQ ジャパン ジス イズ フォーユーワンアイティーユー フロム ジュネーブ 
スイッツアランド コーリング ユー アンド スタンバイ”  日本向けに電波を出して
いますので、何もこのように言わなくても、日本語でやればよいものですが、普段コールを
呼び合うときはこのようにしていますので つい・・・。

 “ハロー CQ JA CQ ジャパン ステーション・・スタンバイ” すると~
“4U1ITU ジス イズ ジュリエット ? ワン ブラボー オスカー・・” おっ、
ジュリエットはJで日本だ!  聞こえた!! 周波数は、21.260MHzでした。
 

“ジュリエット クエッスチョン ワン ブラボー オスカー、 ジス イズ 4U1ITU 
プリーズ ゴー アヘッド”・・ 電波強度は弱かったですが、言葉ははっきりと聞き取れ
たのです。 遥か、日本と交信できた! “マイ ホーム コール JK1P・・”でこの後は
日本語で。 他の局が待機しているので、これで失礼します。 他の局さんどうぞ・・。 
やはり、珍しい局(4U1ITU)と交信したい日本の局がたくさんあり、もううれしいやら、
慌てるやら、有頂天状態になっていたと思います。 4U1ITUというコールサインは、この
場所だけに割り当てられたもので、1つの国レベルと同じ扱いなんですね。

 わずか30分ほどで、電波状態は急に悪くなり 交信不能となりました。 無線室には、
アメリカ、ドイツ、カナダのアマチュア無線家がおられ、しばし、日本のことなど雑談した
後、ログ(交信記録)を付け、QSLカード(交信記録証)を書いて、別室のIARC会長に
挨拶をしてホテルに帰りました。
 まだ、興奮冷めやらず、熱い頭に疲れを感じながら、仕事以外の大きな成果を得たのでした。

          交信証(QSLカード)
           

 長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。


    私のQSLカード2種(クロユリと その後イギリスチェスターの街の写生)
 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする