蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

西田幾多郎  (bon)

2017-06-07 | 日々雑感、散策、旅行

 あの、日本を代表する哲学者、西田幾多郎は、終戦直前の昭和20年(1945年)6月7日に
病気で急死しました。(満75歳) なので、今日が命日に当たりますので、ブログに取り
上げてみましたが、業績内容が難しく、とても踏み込めませんでした。
 ネット検索により、せめて氏の周辺なりとも把握してご紹介に留めることとしました。
悪しからずご了承のほどよろしくお願いします。

                

 西田幾多郎は、明治3年(1870年)、石川県河北郡宇ノ気町(現在:かほく市)に生まれ
ます。江戸時代には西田家は豪家だったようですが、彼の若い時に兄弟4人と長男の死に会い、
父の事業の失敗など不幸続きで多くの苦難を味わっています。
 
  京大大学院文学研究科HPによれば、『金沢第四高等学校中退、東京帝国大学選科卒業。
四高教授等を経て京都帝国大学教授。 明治44年刊の『善の研究』以下、多数の著作を発表。
周囲に有能な同僚、門下生を集め、所謂「京都学派」の基礎を築いた。昭和3年退官後も、厳
しい時代の中で思索を続けた。西田が目指すのは、現実の世界の構造を何処までも「論理的」
に解明することである。
 「純粋経験」「無の場所」「行為的 直観」「絶対矛盾的自己同一」といった独特の用語も、
従来の論理によっては捉えることのできない「根本的」な事実を、真に具体的に捉えることの
できる「論理」として構想されたものに外ならない。』 とありますが、用語についてなど、
皆目理解の外にあります。 ただ、「善の研究」から、いくつかの言葉を引用して(後述)い
ますので、ホンの一端ですが感じていただければ・・と思います。

  京都大学教授時代に、同僚たちとよく散策したという、熊野若王子神社前の若王子橋から
始まり、琵琶湖疏水に沿って銀閣寺橋までの約2kmの散歩道を「哲学の道」と呼び親しまれて
います。 道の中ほどに、彼が詠んだ歌 
   「人は人 吾はわれ也 とにかくに 吾行く道を 吾は行くなり」
の石碑があるそうです。 この詩は、昭和9年、西田幾多郎64歳の元旦に詠まれた歌とあり、
己の道をひたすらに追い求めた強い信念が込められているのですね。

         西田幾多郎博士
          (西田幾多郎記念哲学館HPより)

 

 西田幾多郎記念哲学館が、平成2年(2002年)に故郷である石川県かほく市に建設されま
した。展示室では、多くの資料や原稿、遺品などの展示、世界の哲学者や思想家の言葉など
哲学への誘いをはじめ、企画展なども開催されているようです。

 この記念哲学館HPの中で、彼の紹介記事がありましたので、その一部を引用させていただ
きました。

               

『「私の生涯は極めて簡単なものであった。その前半は黒板を前にして坐した、その後半は
黒板を後にして立った。黒板に向かって一回転をなしたと云へば、それで私の伝記は尽きる
のである」 これは、西田幾多郎が京都大学を退官するときに述べた言葉です。かほく、金沢
で学び、金沢、京都で教鞭をとり、晩年は鎌倉で思索と執筆に明け暮れたその一生は、一見
分かりやすい人生だといえるかもしれません。しかし、その75年の生涯をつぶさに見ていくと、
苦難と悲哀の重なりがあり、思索の苦闘があり、様々な人との出会いがありました。 西田の
人生は、生きることがそのまま思索でもあるような歩みでした。』と。 先の、哲学の道に
建てられた石碑の歌、『人は人 吾は吾なり~』も、まさしくその信念が貫かれているのですね。

  さらに、哲学館HPのご挨拶の最後に次のような下りがありました。
『「哲学」という名称を付したミュージアムは、哲学先進国の欧米を含めても、この「西田哲
学館」だけである。建築家・安藤忠雄氏の渾身の設計を得て、それは「考えること」と「作る
こと」の融合の場として出現した。ふたつの営みは、いずれも生きることの基本に位置している。
この「哲学館」は、訪れる人たちが考えることと作ることへと新たに向かうような場でもあり
たい。』

         西田幾多郎記念哲学館
           (同HPより)


 最後に、西田幾多郎の「善の研究」よりその“ことば”の一部を、ネット(neverまとめ)
より、以下に抜粋しました。

真理を知るというのは大なる自己に従うのである、大なる自己の実現である。知識の深遠
となるに従い自己の活動が大きくなる。』

(ある意味、人間にとって「真理を知ること」というのは、「己の中に秘められた叡智と可能
性」を見出していくことと言えます。そのことについて西田幾多郎は「大なる自己に従う」と
表現しています。「いま現在ある自分」よりももっと偉大な、未だ自分の中に隠されている、
「未知なる自分の可能性」をいつまでも・どこまでも追求していくという生き方。それが哲学
者・西田幾多郎の定義する、「真理を知るための方法論」です。)

 

我々は自己の満足よりも かえって自己の愛する者または自己の属する社会の満足によりて
満足されるのである。』

(「自分の周りの人たち」が幸せでなかったなら、「自分」も決して幸せではいられません。
自分の周りの愛する人たち、そして自分の属するコミュニティが幸せになることなしには、
自分自身が幸せにはなることは絶対にありえないからです。そのような意味で、「自分の幸せ」
と「他人の幸せ」には、ほんらい密接な関係があると言えます。「幸せな自分」というものは、
「幸せな他人」との関係性によって育まれ、そして「幸せな他人との関係」によって幸せに
なった自分が、今度は再び他人を幸せにしていく、そんな「幸せのサイクル」がずっと続いて
いくこと。それが「幸福」であると言えるでしょう。)

 

善とは自己の発展完成であるということができる。即ち我々の精神が種々の能力を発展し
円満なる発達を遂げるのが最上の善である。

竹は竹、松は松と各自その天賦を充分に発揮するように、人間が人間の天性自然を発揮する
のが人間の善である
。』

(「己」という一個の人格を発展させ、その完成へと向かわせることーーー。それが、哲学
者・西田幾多郎の定義する、人間にとってただひとつの、最上の「善」です。

筍(たけのこ)がたくましい竹へと成長し、松ぼっくりから松の幼苗が芽生えるように、人間
もそれぞれが生まれ持った才能・性質をじっくり開花させ、それを大切に育み、
「己」という
名の「世界に一つだけの花」を立派に咲かせなければなりません。「よき人生」を送ることが
できるか否かは、すべてその一点に懸かっているのです。)

 

道徳の事は自己の外にある者を求むるのではない、ただ自己にある者を見出すのである。』

(いくら「外から与えられた道徳」に従っていたからと言って、「己の内にある道徳」に気づ
くことのない人、それを見てみぬふりをする人は、真の意味で「道徳的な人物」であるという
ことはできません。 なぜなら、「外から与えられた道徳」に従って「悪いこと」をしなかっ
たからといって、「自分の中にある道徳」に則って「善いこと」をしたことにはならないから
です。

 「己の中にある道徳」に従って主体的に「善いこと」をするということ。また、そのような
「己の中にある道徳」を見出していく思考の様式を持つこと、そうした行為と思索のプロセス
の連続が、「道徳的な生き方」の一つの解と言えるでしょう。)


    なかなか難しいですね。

 

 

 

 

 

 

コメント
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