蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

桜桃忌  (bon)

2017-06-19 | 日々雑感、散策、旅行

 今日6月19日は桜桃忌です。

 文学少年・少女なら必ず通る太宰治は、無頼的姿勢を基調とした多くの作品(小説)の
魅力と共に、あまりにも若い死であるばかりか、何度となく自殺未遂を重ねた故に、なお
一層の魅力的側面を醸しているのかもしれませんね。

 そんな雰囲気から、まるで遠い私でさえ、三鷹に住んで、玉川上水で入水自殺したこと
などは知るところで、この日に当たり記事アップすることとしました。

 太宰治は、明治42年(1909年)6月19日(桜桃忌と同じ月日)に、青森県五所川原の有数の
大地主の六男に生まれ、学業に優れ、芥川龍之介、志賀直哉、井伏鱒二などの作品に大きな
影響を受け、10代で作家を目指し、既に習作を発表しているのです。
 太宰は、情熱家であり早熟でもあり、芸者小山初代を知ることになるが、作品への失望、
思想的ギャップなどから自殺を図り未遂に終わります。 その後井伏鱒二に弟子入りして、
上京して小山初代と同棲中に女給田部シメ子と心中を図り、彼だけ生き残り、初代との新婚
生活を送っているという。 22~3歳の頃のようです。


          (ウイキペディアより)

 その後、意欲的な創作活動は続き、作品を多数発表するも、大学の卒業見込み立たず、
仕送り打ち切りなどから 首吊り自殺を図るのです。周囲の支えと援助により一旦は立ち
直るも、小山初子と自殺未遂となりそのまま離別する。  見かねた井伏鱒二などが仲介
して正式に 石原真知子と結婚し本人も反省するとありました。これが、30歳の頃で、住ま
いを東京三鷹に定め、創作に打ち込み『女生徒』は激賞され活動は一気に拡大するのです。

 しばらくは平穏な創作活動が続いたようですが、太田静子との出会い、美容師山崎富栄
知り合うのですね。 長編小説『斜陽』が発表されベストセラーとなり、“斜陽族”などの
流行語まで生まれるほどになっていたのです。 翌23年には、『人間失格』や『桜桃』など
を書き上げますが、太田静子との間に子供が出来(正妻真知子との間には2人の子供がある)、
本人の大量喀血(結核)などの病は 山崎富栄の世話になるなど、複雑なもつれとも想像され
るなどから、昭和23年6月13日に、愛人山崎富栄と玉川上水に入水するのです。
 なんと、満38歳の若さでした。二人の遺体は、6日後の6月19日に発見されました。 この
6月19日は奇しくも太宰の誕生日と同じ日なんですね。  そして6月19日を彼の作品から
『桜桃忌』として太宰の忌日とされているのです。

          玉川上水たもとの玉鹿石(ぎょっかせき)
           
            (入水地点か? ブログ「夢織人の街TOKYO」より)

 どこか影を宿した魅力を持った情熱的・無頼的小説家、太宰治は、まさしく頭脳、情熱を
あまりに短い生涯に凝縮した人生だったのですね。

         太宰治記念館『斜陽館』 旧津島家住宅(青森県五所川原)
          (ウイキペディアより)


 
  またまた、無粋なことながら、二人が入水した玉川上水はどのあたりか? 
割と、三鷹駅の近くなのではないか、その内に一度現地を訪ねてみたいと思います。
もう、50年ほど前になりますが、2か月間だけ札幌から武蔵野に転勤になった一時住まいで、
私は三鷹市下連雀にいたことがあります。そのあたりも含めて散策してみようと思いました。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする