蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

自然葬の現状  (bon)

2017-06-17 | 日々雑感、散策、旅行

  昨日(6/16金)は、葬送儀礼つまり “死んだ時の処理” について、御年齢66歳に
なる方が、この3月に大学の修士課程を終了し、4月から博士課程に進み、この問題の研究
に情熱を注ぐ K氏から、表題のお話を伺いました。
 この場は、時々当ブログにても登場しています「Macの会」という、年齢、職業、性別
など無関係なグループが集まって、誰かのテーマ発表があったり、各自の近況報告などを
ネタにしたお話会みたいな場で、前回は、我がpookyさんの“蓼科農場ものがたり”が楽し
く発表されましたが、そんな自由な雰囲気で話し合ったりしているのです。

         お話会の様子
          
                (飯田橋 日本勤労者山岳連盟にて)


 お話の内容は、明治頃から促進されてきた、家族墓(先祖代々墓)や檀家制度のような
葬送が 1990年代あたりから少しずつ変化して来ているというのです。ここに来て、これら
の墓の継承の困難さや 先祖祭祀の希薄化とともに、墓に入らない選択や墓に入れないなど
の考え方の台頭、散骨の認知度の高まり(2013年調査で95%)さらに自然葬を勧める「NPO
法人葬送の自由をすすめる会」の登場(今年、発足26年目)により、これまでの慣習に
とらわれない葬送の形が徐々に増えて来ているという。

 自然葬というのは、広く見れば、第一次処理として、土葬、風葬、鳥葬、水葬、火葬が
あって、国や法律あるいは行政により規制されていて、日本では現在、火葬が許されてい
ます。その火葬の中で、“自然葬”と判定されているのは、「散骨」「樹木葬」「墓石葬」
があります。 普通われわれは、「墓石葬」に慣れていますね。 「散骨」には、山中の
ケルンなどの特定場所の場合と 海、川などの場所不特定に分けられています。
 また、「樹木葬」は、サクラなどの樹木に取り囲まれた墓地の区画などに埋葬される
(墓石は作らない)形式で新しい霊園といった感じにも思えます。

 これらの自然葬の現状については、大半は「墓石葬」で、年間130万人が亡くなっている
うち、墓石葬以外は過去10年でわずか数千件、海洋散骨は、2000件だそうです。 散骨の
認知度は95%に及ぶものの、具体的アンケートでは、“遺灰を海・山に撒きたいという人”
は、1998年で13%、2003年で25% とまだ低調ではありますが、かなりのペースで増加してい
るとみることができるのです。

 自然葬への傾向は、上述しましたが、さらに詳細に見てみますと、以下のようなさまざま
な理由・考えがあるようです。これも時代の変化がその背景にあるのでしょうね。

①  葬儀の意味・考え方の変化から、葬儀費用の観点も含めて家族葬、直葬など小型化して
た。

②  葬送儀礼の商業化がますます激しくなってきた。

③  家族墓を継承することが困難化してきている。一人娘は嫁いでいる。子供は大都市で
仕事をしている、海外移住している。

④  家族社会の変容、死の個人化が進む。死に対する考え方が多様化してきている。旦那
とは一緒の墓に入りたくない。(“あの世離婚”、ペットとならOK)

 このような背景を含めて、既成の葬儀に疑問を感じたり、葬送儀礼の商業化への反発感、
死の個人化、家墓に祀られることを希望しない人たちの動向に合わせて、先の「葬送の
自由をすすめる会」が登場して、現状まだまだ少ないけれども、徐々にそうした方向の流れ
が認められるというのです。

 樹木葬としては、既に25周年を迎える「NPO法人 エンディングセンター」が、東京は町田
市、大阪は高槻市で実施しています。お話では、DVDによる映像が上映されましたが、これ
までの“霊園”のようですが、サクラなどの樹木をシンボルとして、そこに埋葬されるとい
う形式で、期日を決めて合同の慰霊祭のような催しが実施されるほか、生前から会員制度に
より、交流会などを通じて新しい輪が生まれるなどこれまでの霊園とは少し違った要素が込
められていました。

        桜葬
         (エンディングセンターより)


 果たして、自分はどうしたいか? 自問しても、なかなか答えが出ないところです。
 私は、既に入るべきお墓がありますが、一人娘は嫁に行っているし、親戚といってもその
うち関連は希薄になるだろうし・・そうなるとこの墓もいずれ近いうちに無縁化することと
なる事は必至ですね。 お寺さんも、その内、代が変われば、書きモノだけが残るだけ・・
 まぁ、自分はあの世にいるわけで、これらの事態は知る由もないから、ま、いっか! 
無責任だけれど、後のことは“知りません”。きれいさっぱり、散骨がいいかなぁ!

 

注『散骨の法解釈としては「刑法の遺骨遺棄罪や墓地埋葬法に反するものではなく、死者を
弔う祭祀として国民感情に配慮しつつ相当の節度をもっておこなうならば違法ではない」と
いう考えが定着しており、散骨をおこなうことは、個人の自由な判断に任せられているとい
えます。』

 

 

 

 

 

 

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