昨日(3月7日)、豊島区立「熊谷守一美術館」に行って来ました。
熊谷守一については、特別企画展「収蔵作品展」が開催中ということで、ランチの会の
友人が、昨年11月に ここを訪れ、さらに12月には、福岡在の友人がテレビの「美の巨人
たち」で、守一をやっていて感動した・・など、このメンバーのグループメールで、ひと時
話題が盛り上がっていました。
この美術館は、豊島区立で池袋に近いところにあり、私としては是非訪問してみたい衝動
に駆られていました。 以前に、この人の独特な作風というか 絵そのものが変わっている
感じで印象に残っていましたので、是非・・ということで、訪れたという次第です。
豊島区立 熊谷守一美術館(豊島区千早)
こんな前置きは、極めて個人的なことでした。本題に入ります。
熊谷守一という画家は、画評に『 明るい色彩とはっきりした形を特徴とする作風で知ら
れる。特に、花や虫、鳥など身近な生き物を描く晩年の作品は、世代を超えて多くの人に
愛されています。』とありますように、大変ユニークな人のようで、絵も印象深いものが
たくさん残されています。
1880年(明治13年)に 現在の岐阜県中津川に、後に初代岐阜市長となる父、孫六郎の
三男に生まれ、家業の製糸工場を継がず、好きな絵の道を選び 父の反対を押し切り、単身
中学3年で上京するのです。20歳で東京美術学校(現、東京藝術大学)に入学し、在学中に、
父の急死により家業は倒産し、卒業後はしばらく故郷で仕事をすることになります。
しかし、35歳で再び上京し絵の道に進み 42歳で結婚します。 この頃、大変貧しい生活
だったようで、5人の子をもうけますが、結果的にうち3人を病気で亡くしてしまうなど波乱
に満ちた人生を送ります。
ようやく絵が売れ出すのが60歳前後になってからのようで、かたくなに我が道を進んだ
ようでした。 80歳を過ぎる頃、パリで個展を開くなどますます彼の絵はよく知られるところ
となり、1965年には、文化勲章の内示をうけますが、何とこれを辞退してしまいます。
1977年 97歳で人生を閉じるのですが、晩年20年間は、ほとんど外出はせず、30坪ほどの
鬱蒼とした自宅(千早)の庭で、自然観察を楽しむ日々を送り「画壇の仙人」などと呼ばれた
とあります。
油彩が勿論多いですが、このほか、水彩、水墨などや、書などもかなりありました。
画家 熊谷守一(90歳頃?)
(ネット画像より転写しました。)
亡くなる前、45年間は、池袋の近く「千早」に住んで、その跡地に、二女 熊谷 榧(くま
がいかや)さんが、1985年にこの美術館を設立し、その後豊島区に寄贈したそうです。
榧さんは館長を務められていますが、あいにくお目にかかることは出来ませんでした。
絵画のことを、記しながら、その絵をお見せできないのが何とももどかしいのですが、
文末のネット画像を検索されてその雰囲気を味わっていただければ・・。よく知る、ちょっ
と変わった感じの平坦で、濃淡がなく赤い色の輪郭が描かれたパッチワークのような絵は、
今日、もう一つの美術館に行って、彼の後年に描かれた絵だとわかりました。
熊谷守一美術館を出て、友人とお茶しながら、ちょうど今月21日まで、東京国立近代美術
館で「熊谷守一 生きるよろこび」展が開催中であることに話題が移りましたが、彼は先刻
そちらにも訪問済みとのことでしたので、別れてから 私単独で、竹橋にある近代美術館に
向かうことにしました。
東京国立近代美術館
こちらには、ナント200点を超える作品が一堂に集められ、水曜の午後なのにかなりの
人で賑わっていました。穏やかな絵(油彩)なのにパワーがあり圧巻でした。
初期の作品は、裸婦や風景などが多くありましたが、作風は、やや暗い感じながら油絵
そのもので、写実的な風の作品でした。 中には、ルオーのように絵の具が盛り上がった
「ユリの花」があったりもしました。
私の抱いていた印象の画風は、1950年頃以降に多く見られました。 独特の濃淡の無い、
平面的な色による輪郭で構成された、まるで布で出来たアップリケ様の画風で、 有名な
「猫」「宵月」、絶筆となった「アゲハ蝶」などは、その後到達した域であったのでした。
中に、いくつかマチスやゴーギャンを思わせるタッチの作品がありましたが、解説に、
彼らの影響も否めないなどとありました。
別の解説では、真っ暗闇の中の物体に一筋の光が差し込むと無数の影が出来る。しかし、
その影を色で表現する・・と。 これだと立体感に乏しくなるのではないかと危惧されます
が、そこに密なる観察力とデッサン力によって、平板な中に立体感、さらには内面的な息づき
までを表現していると感じました。
また、輪郭を赤い線で囲って描いている作品もたくさんありました。 特に逆光の中で
見る時、このように感じているらしいのですね。 芸術家ながら、内には科学的な思考が
流れ、観察の中に物事の極限を追求した表現技法を編み出しているのかもしれません。
独特の絵ですが、何度も、たくさん見ていると違和感が無くなり、何だかそれに吸い込ま
れて行きそうな感じになってくるのでした。
そういえば、今年、山崎務主演で熊谷守一の映画が出来るとありましたが、ぜひ見たいです。
満足して近代美術館を出ると、16時前で、風は冷たく冬に逆戻りでしたが、暖かい感じが
していて、目の前が皇居の北桔梗門でしたので、そこから東御苑を通り抜けて大手門まで
散策しました。 江戸城天守台跡を通り、紅白梅や、ミモザ、さんしゅうなどの花が咲く
広々とした静かな千代田区を通り抜けました。 外国の若い人たちが大勢来ていました。
さんしゅう
大手門(内側から眺める)
桜田門方向を見る
(左は、パレスホテル)