早や11月に入りました。何だか追われているような感じもするほど時の過ぎるのが早い
ですが、むしろありがたいのかもしれません。
大坂城(大阪城)について、一昨日(10/31)の読売新聞文化面に取り上げられていまし
た。 子供の頃の遊び場の一つで懐かしく思い、記事にとりあげてみました。
大阪で 観光で行くところを案内するとすれば、大阪城くらいしか思いつかないですが、
昨年度、大阪城を訪れた観光客は、275万人とあり、かなりの人気を誇っているようですね。
大阪観光局によれば、『大坂城は、天下統一をめざす豊臣秀吉によって天正11年(1583)、
大坂(石山)本願寺跡で築造が開始され、城の本丸のなかで最も中心の建物である天守閣は
その2年後に完成した。その後、元和元年(1615年)の大坂夏の陣で豊臣氏の滅亡とともに
天守閣も焼失した。徳川時代になって再建されたが1665年、落雷によって再び焼失。以来、
大坂城は天守閣のないままだった。現在の天守閣は1931年(昭和6年)に建造されたもの。』
とあります。
(大阪観光局より)
戦後(昭和22年)に、私は疎開先の奈良(田原本町)から大阪に戻って来た時には、周り
はまだ焼け跡で、街の中でしたが家も少なく、そんな時の遊び場の一つに大阪城があり、
天守閣の前あたりの池をプール代わりに、フルチンで泳いだりしたものでした。
大手門から入って本丸に、大きな「蛸石」と呼ばれる石(36畳敷き)は、雨の日には
蛸の絵が現れるなどといわれていました。当時、大阪城のお堀には水は無く、底がそのまま
むき出しで、子供心にも荒れ果てた感じに映っていました。
蛸石
(ネット画像より)
高校を卒業するころ(1958年頃)ようやく堀に水が引かれ、大阪城公園として、まだ細く
て若い木が植えられ始めていました。 部活で、練習の最後にいつも大阪城の周りを、裸足
でランニング(約5km)した後、休みなく桜ノ宮の大川ほとりで柔軟体操をしたものでした。
回想になってしまいましたが、天守閣は、266年ぶりに1931年に、地上55m、5層8階建て
鉄筋コンクリートで建造され、60年を超えて、1995-97年(平成7~9年)にかけて大改修が
行われました。
(ネット画像より)
新聞記事は、市民に親しまれてきたお城(鉄筋コンクリート製)が、軒並み耐久性が取り
ざたされ、大きな節目を迎えている折から、先の熊本地震による熊本城の再建もあり、耐震
工事を控えて鉄筋コンクリート寿命との問題から、一つの方向を示唆しているように捉えら
れました。
大阪城天守の大改修工事は、コンクリート壁面から内部にアルカリ溶液を浸透させる再ア
ルカリ化工法と呼ばれる当時として最新の工法であったそうです。しかし、費用的に高額で
あり、一般性には欠けるとありました。
もともとコンクリ―トの内部は、高いアルカリ濃度(ph12)にあり、鉄筋は錆から保護さ
れていますが、コンクリートが大気の中で中性化(アルカリ濃度が薄くなる)すると鉄筋の
腐食(酸化)が進み、錆が膨らんでコンクリートのひび割れや剥離が起こるのです。
また、余談になりますが、鉄筋コンクリート造りの多くの集合住宅が築後年数を経て、
アルカリ骨材反応(アル骨反応)を経験し、ひび割れなどの対策が施されています。
新聞に、全国の主なコンクリート造り天守が揚げられていました。
完成年 城名(所在地)
1931 大阪城(大阪市)
58 広島城(広島市)
和歌山城(和歌山市)
59 名古屋城(名古屋市)
60 小田原城(小田原市)
熊本城(熊本市)
65 会津若松城(会津若松市)
66 岡山場(岡山市)
福山城(福山市)
耐震化工事をするにしても、コンクリートの中性化が進み、寿命が近づいているとなれば、
耐震化は意味をなさないわけで、先ずは、コンクリート自体の構造が低下していないことが
その前提となるわけですね。 新聞には、昨年開かれた日本建築学会大会で、コンクリート
が中性化しても、鉄筋の腐食を防ぐ方法が示されたそうです。
その方法は、「コンクリートを守る防水材を壁面に定期的にメンテナンスとして行う」と
いうもので、費用的にも十分対応可能のようです。
これらのお城は、そろそろ耐久性診断により、保全か建て替えかを検討する時期を迎えて
いると結ばれています。
大阪城の8階展望台からは、大阪を一望でき、現在はその景観は周りの高層ビルに遮られ
ますが、春はサクラ、秋は紅葉に囲まれた一帯はやはり素晴らしいの一言です。
天守閣の中は、3~7階にわたって、秀吉関連の展示があり、金色に輝く茶室や、秀吉が
手習いをした時に先生に褒められた喜びを「ねね」に伝える手紙があったり、見どころが
あります。