蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

心耕す  (bon)

2019-09-21 | 日々雑感、散策、旅行

       昨夜のラグビー、ロシア戦、終わってみれば大差の勝利でしたが、
      特に前半、ハラハラドキドキのテレビ観戦でした。 しかし、頑強
      ロシアに負けていないタックル、スクラムには、思わず肩に力が入っ
      てしまいました。

 

 新聞の日曜版や一部紙面が刷新される新しい企画の周知コラムに、「思索の秋 心耕す
新紙面」の見出しで、「世界の行方 占う論考、育児の喜び、映える風景・物語」の予告
記事があり、ハッと目に止まりました。

 「心耕す」。 暑かった夏、その中で今やリタイアして久しい身には、これといった
公的な仕事は、殆どないのに、何だかんだとあれこれ時間に追われれているような日常に、
つい忘れていた思いに、「心耕す」はサッと飛び込んできたのでした。
 すっかり忘れていたことの指摘でした。

      (ネット画像より)

 蓼科農園での春先には、冬越し部分を除いて畑全面を耕し、新しい空気を地中に送り
込み、微生物の繁殖を促し、土を肥沃に仕立てあげているのです。 肥料なども勿論施し
ますが、スタート時点での耕運は、植物の成長に何より大切な工程なんです。


 人の心も、時に耕し、あたらしい風を吹き込むことによって、心が肥沃になり、そこに
新しい考えや思いやり、そして行動が生まれるのでしょう。
 人は、知識を習得し、体験しながら学習し成長して行きますが、これらに加えて、自ら
未来を考え、問題を発見したり 楽しみや感動を覚える行為こそ 明日への成長基盤を構築
して行くのかもしれません。

         (ネット画像より)

 思索することは、人をより深め、広い視野に立った行為、さらにはゆとり、思いやりを
醸成するのでしょう。 ともすれば、前に進むことばかりが優先し、問題を解決すること
ばかりに心が縛られる状況から、ひと時逃れるすべが必要だと思うのです。
 そんな時、未来に対する論考や 優しい物語に心を打ち、美しい景色に出会い感動する
とき、心は耕されるのかもしれません。

            (ネット画像より)

 私が金沢にいた頃ですから、もう随分前になりますが、瀬戸内寂聴さんの「命華やぐ」
をテーマにしたフォーラムに参加したことを想い出しました。 何気ない行為や、状況に
触れ、思わず心が和むというか、ほのぼのとした感動に心を動かされる、お話、事例が
取り上げられ、ひととき俗世を離れた時間を過ごした思いでした。 命が華やぐことも、
とても大事なことだと思います。

 

 

 

 

 

コメント
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