蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

広島原爆忌  (bon)

2023-08-06 | 日々雑感、散策、旅行

      昨日のなでしこジャパンはスペイン戦とは全く違った試合ぶりで勝利を納めました。
      あの強豪スペインに4-0、昨日のノルウエーには3-1でベスト8。この調子で進んで
      欲しいですね。今日は甲子園の高校野球の開幕です。しばらくテレビはつけっぱな
      し状態かも・・。

 

 

 今日8月6日は、広島に原爆が投下された日で、あれから78年が過ぎ、今年も8時
過ぎから原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)がテレビ中継されます。
 今なお被爆者の方が亡くなっていますが、原爆が投下された年の死亡者は14万人
といわれています。3日後に投下された長崎をいれると、両県で20万人を超えるのです。

 広島原爆での死没者名簿には、昨年で33万3907名が記載され、今年もさらに追加
される見込みです。また被爆二世の方々の調査も進められています。

      平和祈念式典(2022年)
       (広島市HPより)

 

 この原爆投下について、アメリカの一部の報道では、「この戦争を早く終結し、
米兵50万人、日本人のさらなる多数の死者を出さないための手段であった」のよ
うな、原子爆弾投下を正当化しようとする発表がありますが、アメリカの中にも、
「その考えは当たらない。原爆を投下しなくても、すでに日本が降伏する動きが
あった。少なくとも7月にはそのような動きがあった。」「天皇制を存続すれば、
日本の降伏は今日にでもありうる」「日本はすでに壊滅状況にあり原爆を使う必要
はない」との意見も多くあったそうです。

                  

 1945年5月にはドイツの無条件降伏が受諾され、続いて日本にも発表されたが、
日本は徹底抗戦を意思表示した結果、アメリカでは、原子爆弾の使用の検討が開
始されたという。同時に日本に対する降伏について検討が継続し、英、中国との
すり合わせが進んでいた頃、
日本のソ連を通じての和解の動きを察知するや、ソ連
の参戦前に原爆投下を行うことが、原爆の威力を表明しアメリカの優位性を確保
する上で有効との判断がなされていたようです。

         (ウイキペディアより)

 原爆投下についても種々検討が進められ、その威力が十分表明できるための都市
規模、被害の大きさ、日本に対する衝撃の大きさなどなどから、原爆投下目標都市
を、京都、広島、小倉、長崎、新潟とその候補地を挙げ検討が進められていたの
です。京都は、最初から地形が盆地で被害の大きさなどが判明しやすいことから
候補地として、ずっと残されていたようですが、歴史的遺産が多い、日本の首都で
あったなどから除外されたようで、最終的には、広島、小倉、長崎、新潟の4都市
とされたようです。

 7月25日には、原爆投下命令が発出されたのです。これにより、原爆投下に向けて
準備が進められたのです。7月26日には、ポツダム宣言が発表され日本に通告され
るも、日本はこれを拒否し、マスコミもこぞってこれを無視・黙殺する報道に流れ、
この宣言拒否が結局「原爆投下」を正当化したともみられるのです。

 8月4日エノラ・ゲイは、21:20にテニアン島を離陸し広島に向かうのです。そして、
広島上空から、相生橋を目標に、リトルボーイ(原爆)を自動投下するのです。

 そして、3日後には長崎にも原爆投下が行われ、8月14日昭和天皇の裁可で、ポ
ツダム宣言を受諾し、終戦の詔勅が発せられたのです。

                 

 原子爆弾については、その威力と殺傷力がこれまでの爆弾に比べて極端に大きい
ことから、その使用については、これまでとは一線を画した議論が進められていま
した。
 そもそも1939年にアインシュタインが、当時のルーズベルト大統領に、その威力
などの可能性について進言しており、研究開発が進められ、これを兵器として使用
する準備と共に、その使用可否について多岐にわたる論戦が行われていたようです。

 この経緯には、核を保有することが、戦略的に優位な立場を保持することが可能
であるとの見解が主流となっていたようで、それが広島・長崎で証明されたこと
となり、畢竟、いくつかの国は、核保有の方向に動いたのでした。

        広島サミットにて(2023.5.19)
         (yahooニュースより)

 今年5月には、広島サミットが行われ、G7首脳および欧州理事会、委員会代表に
より
原爆死没者慰霊碑に献花し、平和記念資料館訪問がおこなわれました。また、
サミットへの招待国代表、更に戦禍にあるウクライナのゼレンスキー大統領の参加
を得て、同じく慰霊碑、記念館への訪問が実現し、現在の各国首脳の心には少なく
とも核の脅威の実際を目の当たりにされた深い思いが宿したことと思います。
 このことで、今後の「核」についての方向性がにわかに好転するとは思えません
が現時点の主要国に核の恐ろしさの認識が芽生えたとすれば、大きな一歩であった
かもしれません。

 普段の日本の政権は、原発の推進、防衛費の予算枠外保有などなど国会審議なく
閣議決定によるほぼ独断ともいえる目に余る行為が継続さている中で、唯一この
広島サミットでのイベントだけが功績として認められるのではないでしょうか。 
異論や議論があるかもしれませんがこのように思うのです。
 このことだけで、核保有の廃絶に向けた行動が期待できるとは思いませんが、こ
れまで、ベトナム戦争や中東戦争でも核が使用されてこなかったように、今一度核を
抑える重要な機会になったのではないかと思うのです。

 8月6日に当たって、粗削りですがその一面を辿ってみました。

 私は中学を卒業した(1955年)時、その担任先生は私達を送り出したと同時に
ご出身の広島の高校に転任されましたので、その年の夏休みに、友人と二人して広島
に先生を尋ねた折、先生は、原爆ドームや慰霊碑、資料館などに連れていただいた
ことを想い出しました。

          友人と・・
          (1955年夏)

 

 

【HD映像】広島原爆投下 - Atomic bomb "Little boy" Dropped in Hiroshima

 

 

 

コメント (2)
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